
博士じゃ。
わしが、うんちくを語る大人気のコーナーじゃ。
心して読むように。
今月は、江戸時代の釣り事情をアレコレ紹介していくぞ。
今回は、釣りが武士のたしなみとして奨励された庄内藩の話じゃ。
庄内藩は、今の山形県庄内地方、日本海に面した場所で、
江戸時代を通して譜代大名の酒井氏が治めた土地じゃ。
庄内藩の殿様、酒井氏は、藩士たちに釣りを奨励していたんじゃが、
なぜだか分かるかな?
実は、長く平和が続いた江戸時代、
武士道と同じように、磯釣りが「武士の鍛練」とされていたんじゃな。
なにせ藩士たちは磯釣りをするために、
大小の刀を差し、何本かの竿や釣り道具、エサまで担いで、
城下から10キロメートル以上離れた日本海まで、山を越えて歩いて行ったので、
それはそれは大変なものだったんじゃ。
大物を狙って明け方に釣りをするときは、前の日の夜から出掛けることもあって、
この夜間の野歩きが胆力を付け、
夜に目を利かす斥候の訓練に役立ったと言われているのじゃ。
ただ、庄内藩士は、あまりにも釣りに熱中したために、海に落ちるものが続出。
「磯釣りに行って海に落ちたりすることは、
殿様のご意向に反することであり、どうかと思われるので、
互いによく注意し合って、心得違いのないように…」
という内容のお触書が出たほどなんじゃ。
誤って海に落ちて死んでしまったり、竿や刀を海に流すようななことがあれば、
家禄を減らされることもあったので、釣りはまさに命がけだったんじゃな。
また、磯釣りが武道と同じように尊重されたため、
竿は刀と同じように大切にされたんじゃ。
釣竿の善し悪しが勝負を左右するため、
藩士たちは、自ら竹薮から竹を切り出して、納得のゆくまで竿を手作りしたんじゃ。
この地方に自生する苦竹で作った、つなぎのない1本竿で、
これが、今に受け継がれている庄内竿じゃ。
ただ、庄内地方では雪が竹を曲げてしまうので、
竿として使える真っすぐな竹を探すのは大変だったようで、
「名竿は名刀よりも得難し」と言われていたそうなんじゃ。