The Burn - Fm yokohama 84.7

釣り博士のマメ知識「江戸時代の釣り事情」vol.1

博士じゃ。

わしが、うんちくを語る大人気のコーナーじゃ。
心して読むように。

今月は、江戸時代の釣り事情をアレコレ紹介していくぞ。

今回は、釣りが武士のたしなみとして奨励された庄内藩の話じゃ。

庄内藩は、今の山形県庄内地方、日本海に面した場所で、
江戸時代を通して譜代大名の酒井氏が治めた土地じゃ。

庄内藩の殿様、酒井氏は、藩士たちに釣りを奨励していたんじゃが、
なぜだか分かるかな?

実は、長く平和が続いた江戸時代、
武士道と同じように、磯釣りが「武士の鍛練」とされていたんじゃな。

なにせ藩士たちは磯釣りをするために、
大小の刀を差し、何本かの竿や釣り道具、エサまで担いで、
城下から10キロメートル以上離れた日本海まで、山を越えて歩いて行ったので、
それはそれは大変なものだったんじゃ。

大物を狙って明け方に釣りをするときは、前の日の夜から出掛けることもあって、
この夜間の野歩きが胆力を付け、
夜に目を利かす斥候の訓練に役立ったと言われているのじゃ。

ただ、庄内藩士は、あまりにも釣りに熱中したために、海に落ちるものが続出。

「磯釣りに行って海に落ちたりすることは、
 殿様のご意向に反することであり、どうかと思われるので、
 互いによく注意し合って、心得違いのないように…」
という内容のお触書が出たほどなんじゃ。

誤って海に落ちて死んでしまったり、竿や刀を海に流すようななことがあれば、
家禄を減らされることもあったので、釣りはまさに命がけだったんじゃな。

また、磯釣りが武道と同じように尊重されたため、
竿は刀と同じように大切にされたんじゃ。

釣竿の善し悪しが勝負を左右するため、
藩士たちは、自ら竹薮から竹を切り出して、納得のゆくまで竿を手作りしたんじゃ。
この地方に自生する苦竹で作った、つなぎのない1本竿で、
これが、今に受け継がれている庄内竿じゃ。

ただ、庄内地方では雪が竹を曲げてしまうので、
竿として使える真っすぐな竹を探すのは大変だったようで、
「名竿は名刀よりも得難し」と言われていたそうなんじゃ。

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