
樋口あゆ子さんのアルバム「ソウル・オブ・ピアノ SOUL OF THE PIANO」より
🔹 1曲目:
フレデリック・フランソワ・ショパン
ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 「英雄」
ピアノ: 樋口あゆ子さん Ayuko Higuchi, piano
Frederic Chopin
Polonaise No.6 "Heroique" Op.53
= = =
🔹エンディング~
フレデリック・フランソワ・ショパン
即興曲第4番 嬰ハ短調作品66「遺作」・「幻想即興曲」
ピアノ: 樋口あゆ子さん Ayuko Higuchi, piano
Frederic Chopin
Fantaisie-impromptu Op.66
= = =
♪ ショパンの生い立ち
1810年にポーランドの首都ワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれたショパンは、フルートとヴァイオリンが得意な父、歌とピアノが上手な母、3歳上の姉ルドヴィカと2人の妹とともに、音楽あふれる家庭で育ちました。4歳でピアノを弾き始め、みるみる上達していくのを見て、父は6歳になったときにチェコ生まれのジヴヌィ先生にピアノ指導を依頼します。ジヴヌィ先生は、バッハやモーツァルトの楽譜を教科書にして、ショパンにピアノと作曲を教えました。
ショパンは何時間もピアノの前で過ごし、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」などを練習しました。7歳のとき、ショパンは初めてピアノの楽曲を作曲します。ポーランドの村人たちの踊りの音楽「ポロネーズ」です。三拍子のリズムをふみならして踊るポロネーズは、ショパンが幼いころから、母親がポロネーズを歌っていたのでよく耳にしていました。
その頃のショパンは、思いついたメロディを自由に弾く即興演奏がとても得意でしたが、まだ楽譜の書き方がわからず、ジヴヌィ先生がそれを五線譜に書き取ってくださいました。
みるみるピアノの腕を上げたショパンは、デビューコンサートでも成功を収め、天才と讃えられます。そして11歳になったとき、ショパンはジヴヌィ先生のお誕生日のお祝いに、自分が作曲した作品「ポロネーズ」をプレゼントしました。
ピアノを習い始めてから1年でポロネーズを作曲し、11歳のときに初めて作曲したのも「ポロネーズ」でした。生まれたときから親しんでいたポーランドの音楽「ポロネーズ」は、ショパンの記憶に、深く刻まれていました。
= =
♪ 21歳で、フランス・パリに移住
30代になってから、いよいよショパンの代表作の一つ、「英雄ポロネーズ」の誕生です。ショパンはポロネーズを生涯にわたって18曲作曲しました。その代表作として、「ポロネーズ第6番 英雄」が挙げられます。
この作品は、ショパンが亡くなる、7年前の1842年、32歳のときにフランス中部の村・ノアーンにある ショパンの恋人の女流作家ジョルジュ・サンドの館で作曲されました。作曲中のショパンは、古代ポーランドの兵士が迫ってくる幻影に襲われて、思わず外へ飛び出した、というエピソードもあります。
= =
♪ショパンのポーランド人しての誇り高き精神と愛国心
ショパンのポロネーズ、マズルカは、どちらもポーランドの民族舞曲に由来する作品で、ショパンの音楽の根源である、ポーランド人としての誇り高き精神が込められており、ポーランドを テーマにした作品の数々で、ショパンは作曲家としての生涯を締めくくりました。