PianoWinery ~響きのクラシック~ - Fm yokohama 84.7

伊集院紀子さんのピアノグラニテ・シーズン10

『ピアノ・グラニテ』は、ピアニスト・伊集院紀子さんが、演奏機会の少ない名曲や作曲家をご紹介するコーナーです。伊集院紀子さんによる演奏もお楽しみください。今週は、ウクライナのショパンと呼ばれる作曲家・ピアニストのヴィクトル・コセンコ (Viktor Stepanovych Kosenko)の「11の練習曲Op.8より第2番」を。そして前回に引き続き、アメリカの作曲家・エドワード・マクダウェル(Edward MacDowell)の初期の作品、「Amourette Op.1」を紹介していただきました。

写真:ピアニスト・伊集院紀子さん

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<ヴィクトル・コセンコ> Viktor Stepanovych Kosenko (1896~1938)

ウクライナの作曲家、ピアニスト、教育者。 彼はチャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービンそして、ミコラ・リセンコのような抒情的作風の巨匠として知られています。コセンコはサンクトベテルブルクに生まれ、幼い頃から音楽の才能を発揮。6歳の時には、耳から覚えたベートーヴェンの「ピアノソナタ第8番悲愴」を演奏できるようになっていたそうです。その後、ワルシャワ音楽院とサンクトベテルブルク音楽院でピアノを学びました。音楽院を卒業した彼は、ジトーミル音楽学校で教職に就き、その後、ジトーミル音楽学校の校長を務め、1934年から1937年にはキエフ音楽院で教鞭を執りました。教育者としても功績を残したコセンコですが、42歳の若さでこの世を去りました。コセンコは、周囲も認める才能豊かな人でありながら、大変謙虚な人格者でもあったようです。

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エドワード・マクダウェル

Edward MacDowell (1860-1908)

1860年、マクダウェルは、スコットランド系移民の父親とアイルランド系移民の母親のもと、ニューヨークで生まれました。幼い頃から音楽だけでなくデッサンや詩、童話を書くなど、創作意欲にあふれた少年でした。10代後半でパリ音楽院に入学し、クロード・ドビュッシーと同じ師匠に師事。その後フランクフルトに移って作曲を学ぶ。指導者になった後、フランツ・リストと知り合い、リストはマクダウェルを大変気に入り、彼の作曲活動に大変興味を持って接しました。コンサート活動で成功を治めた後、ニューヨークに戻りコロンビア大学の教授を務めました。

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