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NITTEN ハナラボ 第255回「 横浜と日本の園芸文化 」

花のトレンド・販売データなどを調査・分析して販売している、
株式会社 大田花き 花の生活研究所の内藤育子さんに、
お花に関する様々なことを伺っていくハナラボのコーナー。


武居>内藤さん、今日はどんなお話でしょうか。

内藤>昨日12月20日はFMヨコハマさんの開局40周年だったそうで、おめでとうございます。開局40周年を迎えるというのは、それだけ長く地域に根ざし続けてきたFM局である証とも言えます。

武居>そうですよね!私はまだ関わって2年ほどなので、この番組も40周年くらい続くように頑張りたいです!

内藤>ここ横浜と、日本の園芸文化の発展には切っても切れない深い関係があるんです。そこで今日は「横浜と日本の園芸文化」についてご紹介します。実は明治時代、横浜は“日本の植物が世界へ羽ばたく玄関口”だったんです。

武居>横浜から植物が世界へ!?

内藤>そうなんです。横浜が開港したあと、皆さんもご存知の通り、外国の外交官や商人、医師、学者、宣教師が多く住むようになりましたよね。その中には植物学者もいたのですが、職業が植物関係の人もそうでない人も、彼らは日本の植物に魅了されて、苗や種子を次々と欧米に送ったんですね。
  
武居>どんな植物が海外に渡ったんですか?

内藤>ユリ、サクラ、ツバキ、ツツジにサツキ、トクサ、スギ、ヒノキなどです。今でも世界の庭で親しまれている植物がたくさんあります。「横浜植木」などの会社が輸出の中心で、カタログは海外の園芸家が憧れる存在だったんですよ。彼らは単に輸出しただけでなく「日本の植物は美しく文化的価値が高い」というイメージを欧米に広め、園芸文化そのものの評価を押し上げました。

武居>すごい!横浜がそんな役割を果たしていたとは!

内藤>さらに重要だったのが、当時の外交官や学者たちの存在なんです。たとえば、外交官で通訳だったアーネスト・サトウさん。日本文化を深く愛して、庭や植物を母国に紹介しました。それからシーボルト親子。日本の植物の価値を体系的に研究し、世界に広めた立役者です。

武居>そういった方々のおかげで、世界に広まっていったんですね。

内藤>はい。横浜の山手あたりには、そういった外国の方々が住んでいました。西洋式の庭園や、和と洋が混ざり合った庭など、山手の文化は園芸の交流そのものでした。西洋人が和の庭に感動して、逆に日本人が洋の庭に刺激を受ける…そんな“文化のキャッチボール”が起きていました。

武居>だから横浜って、どこか“花や緑が似合う街”なんですね。

内藤>まさにその通りで、こうした歴史があって、今の横浜でも、2回前にご紹介させていただきましたが、山手西洋館の季節装飾(現在でも世界のクリスマスをテーマに開催中、25日まで)とか、ガーデンネックレス横浜、港の見える丘公園のバラ園など、園芸文化が根付いているといえるでしょう・

武居>2027年には、横浜で国際園芸博覧会が開催されるんですよね!横浜は、町全体で花や緑の文化の高さを感じますよね。

内藤>本当にその通り。明治の頃に横浜から世界へ広がった園芸文化が、今は逆に街にも息づいていて、歴史が現代につながっているんだなあと感じます。国際園芸博覧会は、来年の3月19日〜9月26日の約6か月開催予定で、ガーデン展示や、持続可能性、環境技術などの未来志向の展示も行われる予定となっています。この博覧会も楽しみですね。

武居>ということで今日は「横浜と日本の園芸文化」についてお話いただきました。内藤さん、ありがとうございました。

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