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NITTEN ハナラボ 第241回「 知られざるコスモスのお話 」

花のトレンド・販売データなどを調査・分析して販売している、
株式会社 大田花き 花の生活研究所の内藤育子さんに、
お花に関する様々なことを伺っていくハナラボのコーナー。

武居>内藤さん、今日はどんなお話でしょうか。

内藤>今日9月14日は「コスモスの日」なのをご存知でしょうか。

武居>そうなんですね!知らなかったです!でもなぜ、今日が「コスモスの日」なのですか?

内藤>9月14日がなぜコスモスの日で、誰がそう決めたのか、はっきりとしたことはわからないのですが、一説に3月14日のホワイトデーからちょうど半年後にあたり、お互いを思う気持ちを確かめ合うときで、季節的にもちょうどコスモスが咲き始めるときだからということのようです。

武居>そうなんですね!ロマンチックですね!

内藤>コスモスという名前は「調和」を意味するギリシャ語に由来しているので、一緒に歩み始めたお二人の調和をお祝いする意味でも、贈り合ったりお部屋に飾ったりするのはいいかもしれませんね。

武居>コスモスは日本の秋にとても雰囲気が合いますが、日本の花なのですか?

内藤>公園でも田んぼのあぜ道でも、ちょっとした空き地にでも咲くとても丈夫な花ですし、
日本国内で北海道から沖縄まで見ることができるので、日本に自生する植物かと思ってしまいますよね。でも実は、コスモスのふるさとはメキシコなんです。

武居>え?メキシコなんですか??全くイメージがありませんが・・・

内藤>そうなんです。そもそもメキシコのコスモスが日本に伝わったのは、幕末の遣欧使節団がオランダなどから持ち帰ったり、明治12年にイタリアから派遣された人がコスモスのタネを日本にもってきたことがきっかけです。その時はまだ「秋桜(あきざくら)」と呼ばれていたんです。

武居>そういえば、さだまさしさんが作詞作曲を担当し、山口百恵さんが歌ったことでヒットした「秋桜(コスモス)」も「アキザクラ」と書きますよね。

内藤>そうですね。そのように日本に伝わったコスモスですが、日露戦争後(1905年以降)に文部省が全国の小学校に配布したこともあって、日本各地にコスモスが広まっていったといわれています。メキシコ生まれのコスモスが日本に広まった理由としては、日本の風土とコスモスが合っていたことがあります。

武居>そうなんですね。さらに、コスモスの花の姿や色が、日本人の美意識と共鳴したことも理由の一つにあるかもしれませんね。

内藤>本当にそう思います。この花を見て心打たれる人もいたようで、大正時代から育種されるようになりました。

武居>大田市場の仲卸通りを歩いていると、サーモンピンクのコスモスとか八重のコスモスなどがありませんか?

内藤>さすが武居さん。気づいていらっしゃいましたね!今ピンク色からオレンジがかったサーモンピンク系の品種や、八重系とか、花弁が筒状に丸まった品種などが人気で流通量が増えているんです。品種数は日本ではとても多くて、コスモスの品種改良や品種の多様さ、豊富さから行くと、世界トップレベルなんです。

武居>知られざる日本の底力がコスモスにも秘められていたということですね!

内藤>そうなんです。ぜひこのコスモスの日をきっかけに、日本のコスモスの育種力にも注目いただきたいと思っているのですが、最後に一つだけご紹介させていただきたいのが、チョコレートコスモスです。

武居>チョコレートコスモスいいですよね!

内藤>はい。チョコレートコスモスってチョコモスとかって略してしまうのですが、色がチョコレートから赤黒っぽい感じで、花弁の質感もベルベットで、品種によってはバニラのような香りがするものもあるんです。
この花は、切花としては人工的に生産販売されているんですが、実は、自然界では、絶滅したとされている花なんです。

武居>なんと!故郷のメキシコなどの自然界で見ることができないということですね。

内藤>そうなんです。イギリスにある王立園芸植物園の調査では、チョコレートコスモスは絶滅した可能性が高いと発表され、私たちが市場で見かけるチョコレートコスモスは、ある日本人の方が大学院在席中にチョコレートコスモスを殖やして絶滅から救うという課題に取り組んだことによって、いまいろいろな種類に出合うことができているんです。

武居>その方に感謝したいですね…!ということで、今日は、コスモスの日にちなんで「知られざるコスモスのお話」をご紹介いただきました。内藤さん、ありがとうございました。

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