
花のトレンド・販売データなどを調査・分析して販売している、
株式会社 大田花き 花の生活研究所の内藤育子さんに、
お花に関する様々なことを伺っていくハナラボのコーナー。
武居>内藤さん、今日はどんなお話でしょうか。
内藤>コロナの感染騒動も落ち着いて、あの時の混乱も記憶が薄れつつあるかもしれませんが、
私たちの生活様式の中で変わったことって結構あると思いませんか。
武居>そうですね。例えば・・・リモート会議が普通になったりとか、在宅勤務が増えたりとか、
新型コロナウイルスの感染拡大が後押ししたかもしれません・・・
内藤>そうですね。コロナは人がウイルスに感染、蔓延して引き起こす混乱でしたが、
植物が病気になって、それが蔓延して、社会や歴史を大きく変えたこともあるんです。
武居>植物の病気って、例えばうどん粉病とか聞いたことありますが、お庭や畑の話にとどまらず、人類の歴史まで変えてしまうとは・・・。どんなことがあったのでしょうか。
内藤>植物の病気が引き起こした、人類にとって最大級の悲劇として挙げられるのが「アイルランドのジャガイモ飢饉」です。
武居>アイルランドのジャガイモ飢饉・・・
内藤>はい。1845〜1849年にかけてアイルランドで発生した大飢饉です。
武居>「ジャガイモ飢饉」というからには、ジャガイモが病気になっちゃったってこと?
内藤>そうです。もともと、ジャガイモは南米のアンデス地方が原産地で、それを15世紀末にスペイン人が持ち帰ったことで、ヨーロッパでも栽培が盛んにされるようになりました。ところが、1845年に北米からジャガイモ疫病菌が侵入してきました。ジャガイモはアンデス原産なだけに、ジャガイモに感染する病原菌はアイルランドにはなかったんです。
武居>それなのに、アイルランドで蔓延してしまったということですね。
内藤>はい。ヨーロッパ各地でこの病気が報告されたのですが、アイルランドは気温が低くて霧や雨が多くて、
とりわけジャガイモ疫病菌が蔓延しやすい環境で、その被害もひどくなってしまったのです。
アイルランドの人たちにとっては、初めてのことでしたし、世界的にもこれにどう対処すればいいか、科学的な知識が確立されていませんでした。植物の病気であることや、どんどん広がってしまうという認識も遅れて、
1846年にはジャガイモの収穫は97%減少となってしまったのです。
武居>ほとんど収穫できなかったということですね。どのくらい続いたのですか?
内藤>それが4年くらい続いて1849年くらいまで。当時のアイルランドの人口が800万人ほどで、そのうち少なく見積もっても100万人くらいがなくなったとされています。
武居>そんなに?少なく見積もってということは、恐らく10人に1人くらいはジャガイモ飢饉で亡くなってしまったということですね?ほかの小麦粉でパンを作って食べるとか、オーツ麦などでしのげなかったのでしょうか。
内藤>そこがこの歴史の悲しい所なんです。当時、アイルランドではオーツとか小麦粉の生産、また畜産も盛んだったのですが、この飢饉が起きた時はイギリスに併合されていて、そのような穀物や畜産物はイギリスに輸出されていました。アイルランドの生活者が食べることはほとんどなかったといいます。
武居>なるほど…そういう歴史背景があるんですね…。
内藤>そうなんです。さらには、もしジャガイモも何品種か作っていたら、その病原菌にかかりにくい品種があったりしたのでしょうが、栽培されていたのは1、2品種だったので、ほとんどその病気にかかってしまったんですよね。
武居>食べるものがほぼなくなってしまったのですね。悲しい歴史です。
内藤>国内に食べるものがなくなったので、この状況から逃げるために100万から150万人のアイルランドの人が、
アメリカなどの他国に移住したといわれます。結果、アイルランドの人口は800万人だったのが、600万人ほどまで激減しました。そんな新天地を求めてアメリカに渡ったアイルランド人の子孫の中には、政治や経済の分野でとても活躍された多くの著名人を輩出しているんです。
武居>なるほど!そういう関係もあるんですね!例えばどんな方が…?
内藤>ジョン・F・ケネディーやロナルド・レーガンなどの米国大統領も、
アイルランドから移民してきた人たちの子孫ですし、かの有名なウォルト・ディズニーもそうです。
武居>え、ディズニーも!?
内藤>そうなんです。植物の病気が、人間社会に大きな影響を与えて、
歴史や文化のありようまで変えてしまうことがある、ということですね。
武居>ということで、今日は「植物の病気が引き起こした悲劇」のお話をご紹介いただきました。
内藤さん、ありがとうございました
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