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NITTEN ハナラボ 第106回「チューリップの歴史」

花のトレンド・販売データなどを調査・分析して販売していらっしゃる、
株式会社 大田花き 花の生活研究所の内藤育子さんに、
お花に関する様々なことを伺っていくハナラボのコーナー。

今回は、ちょうど今、旬を迎えている花「チューリップ」の歴史にフォーカスしていきます。



とてもかわいらしいイメージがありますが、チューリップはこの地球のある地域の山奥で、名もなくひっそりと咲いていました。
そこから、いろいろな国を経て、ヨーロッパに渡り、今やこの花を知らない人はいないというくらい有名で、世界中で愛されるようになりました。
しかしそこまでの道のりは、知られざる波乱万丈すぎる歴史があったのです。。

もともとチューリップは、ウズベキスタンやタジキスタン、ロシア南部辺り、中央アジアの山に自生していました。ここが一大自生地になります。
このほかに、ウズベキスタンから少し西に移動したところ、
黒海とカスピ海の間のコーカサス地方(ジョージアやアゼルバイジャンなど。トルコの東側に接した地域)でも咲いており、ここも野生チューリップの宝庫でした。
そして、ここに咲いていたチューリップがトルコに運ばれました。
恐らくイスラム王朝の皇帝やムガル帝国(インド)の初代皇帝などが自分の庭を充実させようと、
この地域から持って行って植えたとされています。

そのあとの1500年代、オスマン帝国のスレイマン大帝も、どの花よりもチューリップを好んだようで、
花壇に植えていただけではなく、タイルや布の柄にもよく取り入れたようです。
すると1500年代にトルコに駐在したウィーンの初代大使が、
「この花きれい!」とドイツの植物学者に送って、そのドイツの人が植物園で栽培。
その球根をヨーロッパの友人に送って広めていきました。
広めたときに高値で売っていたともいわれているのですが、そのためか、
日畑から球根が盗まれて、オランダで栽培されるようになったことが、
今オランダがチューリップ王国とされる発端なのだそうです。それが1500年代後半。

すると、だんだんチューリップの球根は投機の対象になっていきます。
世界で最初のバブル経済はチューリップが引き起こしたといわれているのですが、
お金になるためにオランダではチューリップの変種づくりが大流行します。
特に1634-37年の熱狂ぶりは著しかったようで、オーストリアのハプスブルク家は、新しいチューリップを探すために、
チューリップ探検隊をトルコに送り込んだり、一攫千金を夢見て自生地に乗り込んだりしたんだそう。

この頃は、日本でも園芸が盛んになってきていましたが、
ヨーロッパではチューリップの球根の値段はとても高く、
麦、大麦、牛5頭、豚3頭、ヒツジ12頭、ブドウ酒やビール、バター、チーズ、ベッド、洋服、銀製コップなどを合わせて、球根1球と取引!
などという今では到底考えられない取引が行われていました。
ビール工場まるまる1棟と交換されたりなんていうこともあったようです..!

まさにチューリップバブル。
このチューリップバブルによって財産を失った人も多くいたと思われます。。

ここから日本にチューリップが渡り、現代に繋がっていきますが、
そこからの歴史は、また2月のハナラボでご紹介します♪

ということで、今回は「チューリップの歴史」についてフォーカスしました!

来週のハナラボもおたのしみに!

みなさんさんからのお花への質問も、是非お待ちしています♪
sun@fmyokohama.jp まで!

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