横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年12月7日

今回のゲストはお待ちかね〜COVID-19から生還されたアリスのきんちゃんこと矢沢透さんでした

滝ともはる、矢沢透さん、米重優哉のピンチヒッターアシスタント伊吹留香さん



12月12日は堺敦生をレギュラーメンバーとして加えた住出勝則とのユニットHUKUROHが

パラダイスカフェへやって来ます。そんなきんちゃんも久々に参加して頂いた、

番組名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会(密にならないでね。

リモート飲み会なら盛り上がること請け合いですぞ)の席で語ってください。

今回出題するのは米重優哉に代わりピンチヒッターとしてアシスタントを務めてくれた

伊吹留香さんからです。

今回のテーマは箱根富士屋ホテルです。

 

創業当時の富士屋ホテル(officialHPより)

箱根の富士屋ホテルは日本で一番古いクラシックホテルと言われています。

明治4年、山口仙之助さんという人が20歳でアメリカにわたり、

その後帰国して慶應義塾に入り福沢諭吉に国際観光の必要性を説かれて、

新しく観光地になりかかっていた箱根に西洋風のホテルを建てました。

 

山口仙之助

クイズ横浜第一問

 

さてその資金ですが、将来日本で有望になると考えてあるものをアメリカで購入して日本に持ってきました。

さて何を買ったのでしょうか?

 

ヒント

 

それまで日本では野菜や魚しか食べなかったのですが、西洋人が食べているものがアメリカでは

幅広く食べられていることを見て、将来日本もこうなると思ったのですね。

 

当時の箱根は、湯本から塔ノ沢と言って少し箱根を上ったところまでは

人力車が通る道ができていましたが、仙之助さんがつくった富士屋ホテルは

宮ノ下と言ってかなり上の方にあり、そこまでの道は整備されていなくて

勿論人力車は通れません。「チェアー」と呼ばれる駕籠でお客様を宮ノ下まで

運んでいました。

そこで仙之助さんは仲間と道を作ることを決意して宮ノ下まで人力車が通れる道を

作りました。

 

チェアーと呼ばれた駕籠

 

クイズ横浜第二問

当時は奈良屋旅館という立派な日本旅館が、箱根に来る外国人のための宿舎でした。

新しくできた富士屋ホテルに外国人客をとられるので、ちょっとしたトラブルに

なりました。

明治期の奈良屋(1877年)

仙之助さんはお客さんをどう分けるのか?

両者の協定を作りました。さてどんな協定だったのでしょうか?

 

ヒント

 

その話を聞かなかったら「日本人に対する差別だ」と怒る人も出てきたかもしれませんね。

 

その後経営は仙之助さんの息子に移り、さらに妹のお婿さんの正造さんに移りました。

山口正造

正造さんは同じクラシックホテルの名門、日光金谷ホテルの次男でした。

正造さんはなかなかのやり手でいろいろな企画を作ってホテルを大きく育てました。

チャップリンやヘレン・ケラーなどの世界の著名人も宿泊しました。

喜劇王チャップリンと山口正造

 

クイズ横浜第三問

 

正造さんはアイディアマンでした。

海外での宣伝効果を高めるために、彼はホテルである社交クラブをつくりました。

さてどんなクラブをつくったのでしょうか?

ヒント

上の正造さんの写真をヒントにお考え下さい

第一問答え

「牛7頭」

 

その牛が高く売れてホテルを作る資金になったっていうのもすごいですね

第二問答え

 

「富士屋ホテルは外国人専用にして日本人を宿泊させない。

もし泊めたら一人当たりいくらというお金を奈良旅館に払う。」

 

 

第三問答え

「万国ひげ倶楽部」

山口正造発案の万国ひげ倶楽部を紹介するパンフ

 

入会条件は最低2インチ(約5センチ)以上のひげがあることだったそうです

 

その後正造さんは当時としては画期的だった送迎バス、ゴルフ場などを作りホテルだけではなく

箱根全体の発展ために尽くしました。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

矢沢透さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

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