横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年11月2日

今回のゲストは米重優哉と同郷、岡山出身の岸田敏志さん、電話ゲストでお世話に

なり、今回はスタジオに来ていただきました。

滝ともはる、岸田敏志さん(with a mask on)、米重優哉

 愛媛坊ちゃん劇場で2021年3月まで、1年間のロングランで

「ミュージカル おかやま桃太郎伝説~鬼の鎮魂歌(レクイエム)~」を

上演中の岸田敏志さんも参加して頂いた、

番組名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会(密にならないでね。

リモート飲み会なら盛り上がること請け合いですぞ)の席で語ってください。

今回のテーマは福沢諭吉と横浜です。

福沢諭吉

福沢諭吉は滝ともはるの故郷、大分県中津市の出身です。

1859(安政6)年、福沢諭吉は横浜開港の噂を聞き、江戸の中津藩邸から

横浜見物に出かけました。

そしてその旅がその後の諭吉の人生を大きく変えることになりました。

幕府は神奈川宿ではなく横浜を開港するために突貫工事で波止場や奉行所、

遊郭や商店を作りました。

諭吉は屋敷を夜中の12時に出発、朝の6時頃に横浜についたそうです。

クイズ横浜第1問

今考えると築地から横浜まで歩くなんて考えられませんでしたが、

昔の人は良く歩きました。

通常の旅人は、例えば東海道などの街道を歩くとして平均して

1日何キロくらい歩いたでしょうか?

ヒント

一日中歩いたわけです。

でも毎日歩くとそんなに早くも歩けません

 

諭吉は大阪の緒方洪庵の適塾でみっちりオランダ語を勉強していたので、

自信を持って横浜に行ったのですが、まったくオランダ語が通じません。

話を聞くと国際的には英語を知らなければいけないと聞いてショックを受けます。

クイズ横浜第2問

諭吉は今の県庁があるあたりの店で、ドイツ人の店員と筆談で会話をして

今後英語を勉強するのに必要なあるものを買いました。

さて何を買ったのでしょうか?

横浜外国人居留地

ヒント

勉強家の諭吉が買うのは本でした。

どんな本だったでしょうか?

諭吉さんはその後英語を猛勉強して、どうしてもアメリカが見たいと思い

咸臨丸に乗り込みアメリカ体験をします。

その後多くの著作を残し、慶應義塾を創設して多くの教え子を世に出しました。

慶應義塾

また箱根、大磯、鎌倉などで多くの弟子を育て、南足柄では「福沢村」

という村までできたそうです。

クイズ横浜第3問

諭吉の教えは学問より実業。

学んだことを実際の社会で生かすことを教えました。

慶応で学んだ教え子はそれぞれの社会で大活躍をするのですが、

山口仙之助という人は1878(明治)11年に箱根の宮ノ下に日本で初めて西洋風の

リゾートホテルを建てました。

山口仙之助とチャップリン(左)

それがきっかけで箱根が外国人のリゾートとして開発されていくのですが、

なんというホテルを作ったのでしょうか?

ヒント

お正月の箱根マラソンでは毎年このホテルの前を選手が走りますね。

クラシックホテルとして今年7月にリニューアルオープンしました。

第1問答え

「およそ35キロ」

東海道は約490キロ、それを14日くらいで歩いたそうなので1日約35キロになります。

53か所宿場があったのでそれぞれの間隔は約9キロだったそうです、

(※53次だと京都三条大橋まで、実際は大阪までで57か所に宿場があったそうです。)

第2問答え

「蘭英辞書」つまりオランダ語を英語に変える辞書です。

もちろん日本語の辞書なんてありませんから

この時の店員は居留地の住人だったので後の調査でドイツ人のクニフラー

という人だとわかりました。

英蘭辞書
ルイス・クニフラー

第3問答え

「箱根富士屋ホテル」

箱根富士屋ホテル

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

岸田敏志さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

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