横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年10月5日

今回のゲストは神奈川出身で地元横浜で根強い活動を続けてらっしゃる、

ブルースシンガー、ブル松原さんでした。

滝ともはる、ブル松原さん、米重優哉

ブルーズの本場のライブハウス、「ハウスオブブルース」にシットイン(飛び入り)で

ハウス オブ ブルース シカゴ

出演してお客さんの一緒に盛り上がったというブル松原さんも参加して頂いた、

番組名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会(密にならないでね。

リモート飲み会なら盛り上がること請け合いですぞ)の席で語ってください。

今回のテーマはガス灯です。

 

日本で最初のガス灯は馬車道や本町通り、それを作ったのは高島嘉右衛門であることは

番組ではすっかりお馴染み高嶋嘉右衛門翁

この番組でも紹介しましたが、今回はガス灯についてもう少し詳しいクイズにしました。

クイズ横浜第1問

馬車道でガス灯がともされたのは1872(明治5)年ですが、その前年の1871(明治4)年、

馬車道のガス灯

実はすでに西洋式ガス灯がともされていました。でもこれは街灯として使用したのではなく、

工場内とその周辺を明るくするためにともされたのでした。

さてどんな工場だったでしょうか?滝さんが大好きなものを作っているところです。

場所は大阪です。

ヒント

紙に何かを印刷するのですが・・・

 

横浜で点灯されたガス灯は馬車道だけではなく大江橋から本町通りに十数基設置されました。

柱の部分はグラスゴーから輸入され、明かりがともるところは日本製だったそうです。

その年の終わりまでには横浜駅周辺など全部で300基ほどのガス灯が設置されたそうです。

クイズ横浜第2問

ガス灯の灯りはとても柔らかく温かみがありとても評判が良かったのですが、

さて当時は火をつけるのはどうしていたのでしょうか?

ヒント

当時はチャッカマンはなかったでしょうから大変ですね

 

横浜のガス灯は大人気で東京からもたくさんの見物人が押し寄せたそうです。

明治天皇も視察に来られて、銀座にもガス灯がつけられることになりました。

銀座ガス灯

クイズ横浜第3問

実はさらにそれより前にガス灯をつけた人がいました

薩摩の名君と言われた島津斉彬です。

島津斉彬像

新しい文明の利器が大好きで、西郷隆盛を見出した人ですが、

1857年に見事にガス灯を点灯させていたそうです。

といってもグラスゴーから柱を輸入したわけではなく、ガス管を既成のあるものに

突っ込んで強引に灯りをつけて電灯にしたそうです。

さて何にガス管を突っ込んで電灯にしたのでしょうか?

庭に灯りが欲しかったのでしょうね

ヒント

日本庭園ではこれが照明だったから正しい選択です

第1問答え

「造幣局」

造幣寮(後の造幣局)

現在でもその時の器具は造幣局に残されています。

ちなみに現在でもお札は東京ではなく、大阪の造幣局で印刷されています。

第2問答え

「点灯夫と呼ばれる人がはっぴを着て長い竿の先に火をつけて、ガス灯ひとつづつ火をつけて

歩いた」そうです。

銀座通のガス灯の点燈

第3問答え

「石灯篭」

日本初のガス灯仙巌園の鶴の姿の鶴灯籠

残念ながら島津斉彬さんが急逝したために、ガス灯は鹿児島では普及することはなかったそうです。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

ブル松原さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

top