横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年10月26日

今回のゲストは久々のご登場、TV神奈川だけかと思ったら全国ネットのCMで

お馴染みの城本クリニックのCMソングを歌ってる岩切愛子さんでした。

滝ともはる、岩切愛子さん、娘が城本クリニックのCMソングを歌うという米重優哉

ゆっくりと流れていく時間や自然の香りを思い出させてくれ、


懐かしくてどこか切ない旋律がゆったりと疲れた心を癒すオリジナル作品

「オレンジの時つ風」を歌う岩切愛子さんも参加して頂いた、

番組名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会(密にならないでね。

リモート飲み会なら盛り上がること請け合いですぞ)の席で語ってください。

今回のテーマは横浜道(よこはまみち)

横浜はペリーが来るまでは見向きもされない小さな寒村でした。

1750年前後江戸時代石川村絵図

当時のメインの道路はもちろん東海道、そこから横浜に来るのは結構大変でした。

というのも今の桜木町は海の中、野毛山のふもとは崖があり、海がありました。

横浜を開港場とした井伊直弼は東海道から横浜に向かう道を大急ぎで作りました。

それが横浜道です。

井伊直弼

 横浜道は横浜駅の西口の近く、東海道の今の浅間町(せんげんちょう)の

あたりが起点で、平沼、戸部、野毛をという少し山際になったところから

吉田橋まで道を作ったのです

クイズ横浜第1問

この道を作るときに大きな功績があったのが刈部清兵衛(かるべせいべい)という

保土ヶ谷の名主です。彼の名前の苅部の「かる」という字は草冠に

草を刈るのかるですが、後に「重い、軽い」の軽いという字に変えました。

というのもある人が彼の功績をたたえて書状を渡したのですが、彼の名前を

間違えて軽い方の「軽部」と書いたのがきっかけと言われています。

さて誰が勘違いをしたのでしょうか?

ヒント

この方に間違われると、もうそうするしかないですね。

クイズ横浜第2問

横浜道は東海道から横浜に入ろうと思うと、この道を通るしかなく、

重要な拠点になりました。

幕府はセキュリティの為にここにあるものを作りました。

さて何を作ったのでしょうか

ヒント

これはノーヒントでもわかるでしょう

野毛の山裾は大きく切り崩されて道ができました。

野毛の切通しです

野毛の切通し

切通しは1873(明治6)年に外国人技師デービスにより切り下げ工事が行われて

立派な道ができましたが、現在の道に比べるとまだまだ細い道でした。

 

クイズ横浜第3問

1928(昭和3)年、最初にできた切通しよりさらに深く切り出して、道も広く

拡張されました。というのもそこにあるものを作ろうと思うと、

そのままではちょっと具合が悪かったからです。

さて何ができたのでしょうか?

ヒント

当時は野毛だけではなく、町中にそれを作り必要がありました。

第1問答え

「明治天皇」

明治天皇

刈部さんの経営する本陣に明治天皇が宿泊した時に、天皇から金一封を

いただいたのですが、その時名前が軽部と軽いという字で書かれていたので、

恐れ多いという事で、そのまま自分の名前の方を変えたというわけです。

第2問答え

「関所」

幕府はここに神奈川奉行所をつくりました。

神奈川奉行所

奉行所というのは今でいう裁判所ではなく県庁のような行政機関です。

当時はここが横浜の重要拠点となり警備の拠点にもなり、

攘夷の武士たちを監視しました。捕まえた不審者を収容できるように

大規模な牢屋も作られました。

 

神奈川奉行所跡

第3問答え

「市電を通すため」

路面電車は平らなところを通す必要があったので、ちょっと高低差があった

切通しをさらに切り出して、平地を同じくらいの高さにしたのです。

横浜市電

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

岩切愛子さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

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