今回のゲストは、あるときは日ノ出サンデーズの隊員、黒猫ルック。
またある時は「迷子の瞳 2020」をシングルとして配信した伊吹留香さんでした
9月11日(金)には桜木町(野毛) 旧バラ荘でライブを行う伊吹留香さんも参加して頂いた、
番組名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会(密にならないでね。リモート飲み会なら盛り上がること請け合いですぞ)の席で語ってください。
今回のテーマは弁天通り
桜木町からみなとみらい線の馬車道方面に向かう道は弁天通りと呼ばれました。
というのも、新しく建てられた横浜市役所のあたりに洲干(しゅうかん)弁天社という
神社があったからです。
横浜の歴史は170年くらいと言われますが、この神社は鎌倉時代に
源頼朝の命令で建てられた古い神社だったのです。
弁天通は埋め立て地ではなく本牧からつながる大きな浜の先端で、
この神社もお茶屋などが並び、開港前は横浜で一番にぎやかなところでした。
歴史博物館のあたりに門があり、その門前通りとしてこの道はできました。
クイズ横浜第1問
この神社には瓢箪池と呼ばれる池がありました。
実はこの池には近所の人がある動物を捕まえては持ってくるのでたくさんのあるものが住み着き、
神社の守り神になりました、さて何が住み着いたのでしょうか?
ヒント
普通は見るとキャッと言って逃げますが、この動物の皮で作ったバッグを持つ人もいますね。
クイズ横浜第2問
この神社には名水と言われるありがたい水があり、これであるものを洗うと財産ができる
といわれているそうです。
さて何を洗うといいのでしょうか?
ヒント
弁才天の「ざい」は財産の財(=弁財天)とも書かれ商売人にとってはありがたい神様でした。
弁天通りは横浜の繁栄の象徴のような生糸問屋や薬問屋だった本屋の丸善をはじめ
いろいろな店が立ち並び新生横浜のメインストリートになりました。
その中でも目立ったのが野澤屋という呉服屋さんです。
野澤屋は1864(元治元)年に茂木惣兵衛(もぎそうべい)さんという人が創設しました。
茂木さんは注文されたものを出してくるという呉服屋さんではなく、
商品をたくさん陳列する百貨店方式を始めてとった人ともいわれています。
1910(明治43)年には百貨店野澤屋を伊勢佐木町に開店しました。
野澤屋さんはアイディア豊富な新趣向でライバルの松屋に対抗しました。
外国人デザイナーを呼んでオーダーメードの背広や、カラー印刷のカタログなどで大人気、ライバルに大きな差をつけました。
クイズ横浜第3問
野澤屋さんはさらに直接お客さんを増やすために新しいサービスを考えました。
さてどんなサービスを考えたのでしょうか?
ヒント
伊勢佐木町は横浜駅からはちょっと離れていたからです。
第1問答え
「蛇」
数百年生きたといわれる大蛇もいてたくさんの人が見物に来たそうです。
開港後この辺りは急に賑やかになり、この地にお役人のための感謝を作るために神社は
今の関内駅の近くの羽衣町に大蛇ごと引っ越し、名前を厳島神社に変えたそうです。
第2問答え
この神社でも「お金を洗う」霊水があるそうです。
この水でお金を洗うと数倍になってお金が帰ってくるといわれたそうです。
第3問答え
横浜駅からの「無料バスでの送迎」
様々なアイディアで頑張った野澤屋さんですが、その後、多角経営に失敗し
経営権を松坂屋に譲りましたが、伊勢佐木町の中心地として長らく横浜の市民に愛されました。
その松坂屋も2008(平成20)年に閉店したのは記憶に新しいですね。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
伊吹留香さんの回は、radikoでお聴き頂けます♪
http://radiko.jp/#!/live/YFM
This program is brought to you by CERTE.
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪