
今回のゲストはジョー山中さんのバンドメンバーを皮切りにゴダイゴのサポートメンバーとして
活躍されていた作曲家、ヴォーカリスト、ギタリスト、ピアニストとして
多彩な活動をされている竹越かずゆきさんでした。
9月4日にはパラダイスカフェ恒例マサ小浜さんと塚本直さんとご一緒にライブ出演していただく
竹越かずゆきさんも参加して頂いた、番組名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)
今回のテーマは横浜の進駐軍とジャズ(第二弾)
マッカーサー元帥は東京有楽町の第一生命のビルをGHQの本部にしましたが、
横浜は第8軍司令部が日本駐留米軍の司令部になり9万人のアメリカ兵が横浜に滞在しました。
関内周辺はかまぼこ型の兵舎が立ち並び、フェンスで囲まれ、通りの名前も変わりました。
加賀町警察の前の通りはケンタッキー・アヴェニュー、中華街の一番奥の朱雀門の前の通りは
テキサス・ストリートになりました。
周辺にはたくさんの米兵の為に音楽を楽しみながらお酒を飲む進駐軍クラブができました。
問題は演奏者が足らないことでした。
旧日本軍の軍楽隊にいたクラシック演奏者は高い給料で引き抜かれたそうです。
のちにシャープ&フラッツというバンドで有名になる原信夫さんもそんな一人でした。
クイズ横浜第1問
アメリカでもジャズを演奏するクラブは大都会にしかありませんでした。
田舎出身のアメリカ兵たちは横浜でジャズを聴き、ニューヨーク気分を楽しんでいたそうです。
原信夫さんによると当時、アンコールは演奏手当には入っていなかったので、
アンコールを聞きたい兵士たちは「あること」をしてお金を集めてアンコールを聞くことができたそうです。
さて何をしたのでしょうか?
ヒント
いまでいう「投げ銭ライブ」でしょうか
のちにアメリカにわたり大成功を収めたピアニストの秋吉敏子さんも横浜や東京のクラブで演奏していたそうです。
演奏者不足の折、秋吉さんはとても優遇されたそうです。
クイズ横浜第2問
当時の国家公務員上級職の初任給は1951(昭和26)年で5,500円だったのですが、
その時の秋吉さんの月給はいくらだったでしょうか?
ヒント
ありません
当時アメリカで最新のジャズはチャーリー・パーカーなどがつくったビバップというサウンドでしたが、
日本のクラブで人気があったのはもっとオーソドックスなダンスが踊れるビッグバンドジャズが主流でした。
日本人のジャズミュージシャンたちもアメリカのビーバップの影響を受けて、純粋音楽としてジャズを演奏する人も
増えてきました。
伊勢佐木町にあったジャズクラブ「モカンボ」で日本のジャズシーンにとって歴史的なライブも催されました。
その後に日本を代表するジャズミュージシャンになった人達が集合して演奏し、その演奏が録音されてレコードになりました。
ピアノ秋吉敏子、サックス渡辺貞夫ほか一流ミュージシャン。
入場料は500円でした。、
クイズ横浜第3問
このライブを主催したのは後に日本を代表するグループのリーダーになるある人でした。
さて誰だったでしょうか?
ヒント
たくさんの人が集まったのできっと「あっとおどろいた」でしょうか?
第1問答え
「兵士たちが帽子を廻し、チップを集めてアンコールのギャラにしてくれた。」
第2問答え
「5万円」
第3問答え
「ハナ肇さん」
植木等さんも一緒に幹事をしたそうです。
若い日本のミュージシャンはビー・バップに夢中になりました。
野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」では最新のレコードが聞けると熱心なジャズファンが集まり、
セロニアス・モンクやバド・パウエルなどのレコードをみんな熱心に聞いていたそうです。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
竹越かずゆきさんの回は、radikoでお聴き頂けます♪
http://radiko.jp/#!/live/YFM
This program is brought to you by CERTE.
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪