横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年3月2日

今回のゲストは世界的車メーカーのエンジニアから転身し、ストリートジャズミュージシャン活動

19年。現在までにおこなってきたストリートライブは3,000回、


CD販売枚数 7万枚、フライヤー配布枚数60万枚と言う中村健佐さんでした。

滝ともはる、中村健佐さん、米重優哉

予定されていた3月14日(土)レストランエスペリアのコンサートが

新型コロナウィルス感染防止のため、残念ながら開催日を延期することになった

中村健佐さんも参加して頂いた、

「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のテーマは幕末のお百姓さんの農具

 

幕末の横浜、日本中から脱藩浪人や無宿者が村に出没するようになりました。

1862年関東の村に幕府のお触れが出ました。

村に浪人や無宿人が現れ乱暴狼藉を働いた時は相手が侍でも農民がとらえても良い、

というお触れでした。

クイズ横浜第1

といっても農民が侍を捕まえることはちょっと難しいことでした。

そこで幕府は意外と農民が所持していたあるものを使用して捕縛しても良い

というお触れを追加して出しました。

さてあるものとは何だったでしょうか?

ヒント

実はすでにこんなものを農民が持っていたのです。

強力な武器です。

 

クイズ横浜第2

ちょっと考えると農民が銃を持つことは禁止されているはずなのですが、

多くの村ではすでにかなりの数の鉄炮が所持されていたそうです。

さて何故鉄炮の所持が認められていたのでしょうか?

ヒント

これがないと年貢をとる方としても不都合な事態が起こったからです。

今でも時々地方で猟銃会の人たちが活躍しますよね。

 

クイズ横浜第3

それまで農民の持つ銃は動物に対するもので人間に向けてはいけない

というルールが守られていたそうです。

つまり本当に農具としてしか使用していなかったのです。

1867年、幕府はこのルールを破り、さらに一大方針転換をしました。

銃の扱いに慣れた優秀な農民に最新鋭の銃を与えて幕府は農民隊を組織しました。

戦う相手は実は彼らは身内の人たちだったのです。

さてどんな人たちに立ち向かうように命じられたのでしょうか?

ヒント

幕府の立場からすると厄介な事件です。この人たちと対決させるのは侍ではなく同じ立場の人がいいだろうと思ったのです。

1問答え

「鉄炮」

四季打鉄砲御調書上

 (江戸時代、村が所持する鉄砲を役所に報告したものです。)

2問答え

「畑を荒らす鳥や野獣を退治するため」

農作物を荒らす鳥やシカやイノシシは当時は大量に出没して、農民にとって深刻な事態でした。

仕方なく幕府は農民に鉄炮の所有を許したのです。

とはいえ農民の持つ鉄炮は「銃器」ではなく「農具」であるとされていたそうです。

1864年の調査で283戸の農民がいるある村で82丁の銃を持つ人がいたということですから

武士より農民が持つ銃の方が数が多かったそうです。

ある村の鉄砲の数

3問答え

「百姓一揆」

世情が混乱したため各地で一揆が多発しました。

手が回らなくなった幕府は同じ農民に対応を任せたわけです。

各地で農民鉄砲隊が組織されたそうです。

その後、状況が幕府に不利になり、対決する相手は薩長の兵士になっていきましが、

維新後銃器は新政府によって取り上げられてしまいました。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

中村健佐さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20200204013000

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

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