横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年3月16日

今回のゲストはシンガーソングライターでありながらお笑い事務所の浅井企画に所属する

宇佐元恭一さんでした

滝ともはる、宇佐元恭一さん、米重優哉

その淺井企画の社歌(作詞は関根勤さん)も作っている宇佐元恭一さんも参加して頂いた、

「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のテーマは

横浜の廃墟

 

廃墟ブームというのをご存知ですか?

崩れかかった建物がそのままの姿で放置されている廃墟のような建物がブームになっているのです。

一番有名なのは長崎県の軍艦島。

長崎県端島(軍艦島)

戦前の海底炭鉱だった小さな島が要塞のような形で残されています。

さて関東を代表する廃墟は横浜・根岸にある旧根岸競馬場の一等馬見所(うまみじょ)という

競馬場の観客席です

旧根岸競馬場一等馬見所

1886(明治19)年ここ根岸に日本で最初の本格的な競馬場である横浜競馬場ができました。

(※この写真の建物ではありません。この建物は1927(昭和4)年のものです)

クイズ横浜第1

そして1888(明治21)年から今の言葉で勝馬投票券(当時は馬券、馬賭、賭札)が

販売されるようになりました。

当時競馬はイギリス社交界の花と言われて、日本でも明治天皇ほか上流社会の社交場になりました。

根岸競馬場

しかし当時日本は賭博が禁止されていたので他の場所では賭博行為はできませんでした。

でもここ根岸では堂々と馬券が売られていました。

何故なんでしょうか?

ヒント

生麦事件が起こり外国人のストレスを抑えるために根岸の競馬場はできたのです。

クイズ横浜第2

明治時代、馬は軍馬として大切なもの。

その馬のクオリティをあげるための資金が必要となり、その資金を得るために1905(明治38)年以降

たくさんの競馬場がつくられ、勝馬投票券の販売が一般にも解禁されました。

そこで現在でもとても有名な競馬の賞になっている二つのビッグ(重賞)レースが誕生しました。

一つは皐月賞さてもう一つは何という賞でしょう?

ヒント

当時はエンペラアーズカップと言われました

 

根岸の横浜競馬場はたくさんの人が来るようになり手狭になりました。

さらに関東大震災で大きな被害を受けた影響もあり、本格的なスタンドが必要とされました。

1927(昭和4)年、丸ビルの設計をしたアメリカ人の建築家のモーガンさんが

大変立派な1等、2等の観覧席をつくりました。

J.H.モーガン(Jay Hill Morgan)

この1等の観客席が戦後も生き残り、今廃墟として大人気になっているのです。

1等観客席に入るには当時入場料が5円だったそうです。

5円といえば歌舞伎の一等席と同じ金額だったそうです。(1.5万円くらい)

五圓札

お昼の休憩時間は有名音楽家がクラシックを演奏して、食堂はニューグランドホテルのシェフが

作っていたそうです

クイズ横浜第3

この建物を設計したモーガンさんは横浜でも多くの建物を作りました。

今でも残っている山手のある施設の門はとても有名です。

さてなんという施設でしょうか

ヒント

今では観光地として有名ですね。

外国人専用のものです

3問答え

この土地はイギリス人の管理下になったために「治外法権扱いだった」のです。

3問答え

「天皇賞」

天皇賞の優勝馬主に贈られる楯のレプリカ

3問答え

「外国人墓地の門」

 

横浜外国人墓地旧山手門

しかし第二次大戦直前に競馬場は廃止され、戦後米軍に摂取されて長い間変換されなかったのです。

現在横浜市が購入して馬場の部分は根岸森林公園となっています。

建物は2009年近代化産業遺産に認定されましたが、復元保存するには大変なお金がかかるので

現在の姿で放置されています。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

宇佐元恭一さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20200204013000

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

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