
今回のゲストはShining Roadのメンバーの中で最年少の藤林祐聖さんでした。
昨年にソロアルバム「journey to dream」を発売、3月20日には我がパラダイスカフェ でソロライブを
行う藤林祐聖さんも参加して頂いた、
「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)
今回のテーマは横浜とジャズです
戦後ジャズはヒップな若者文化として大人気な時期がありました。
そのジャズ文化が戦後いちはやく花開いた場所が横浜だったのです。
クイズ横浜第1問
戦時中アメリカ軍は占領地にアメリカ兵士の娯楽のための物資を配布しました。
占領地だけではなく戦闘中の場所にも空からパラシュートでいろいろなものを投下したそうです。
Vディスク呼ばれる米軍がつくったレコードと一緒にあるものも投下しました。
さて何を投下したのでしょうか?
ヒント
レコードがあってもこれがないと聞けませんね
このVディスク、Vとはヴィクトリー、勝利のV. 実はレコード会社ではなく
アメリカ軍が特別に作ったもので当時空軍大尉だったグレン・ミラーなど軍属の音楽家が
録音した軽快なテンポのジャズ音楽でした。
戦後、横浜には米軍の中心部隊の第8軍司令部が置かれ、日本占領の中心地として
9万4千人のアメリカ兵が駐留しました。
そんな人達の為に横浜でいろいろな施設ができました。
クイズ横浜第2問
若いアメリカ兵の為に日本政府は米軍の要請で物資などの管理をする特別調達庁という組織を作りました。
さて彼らはミュージシャンにとってもうれしいことをしてくれました。
何をしてくれたのでしょうか?
ヒント
日本のお役人が幌のついたトラックで新宿や銀座に繰り出したそうです。
元町から山手へ向かう代官坂トンネルの手前にクリフサイドというダンスホールが昭和21年に誕生。
今でも営業を続けています。
このお店は今は社交ダンスをする人が集まってきますが、以前はダンサー目当てのお客と
ジャズバンドで連日にぎわっていたそうです。
クイズ横浜第3問
当時ジャズトランぺッターとして人気だった南里文雄(なんりふみお)さんは
ここでハウスバンドを作り大活躍をしていました。
南里さんと言えば日本のジャズトランペットの草分け、敬意を表して日本の○○○と呼ばれていたそうです。
さて日本の何と呼ばれていたのでしょうか?
ヒント
この名前を付けたのは実は○○○さんご本人だそうです。
南里さんがニューオリンズに行った時に出会い。
友好を固め、お前は日本の俺だという意味で名前を付けられたそうです。
この方はトランペットだけではなくヴォーカルでも有名ですね
第1問答え
「蓄音機」
第2問答え
「米軍施設で演奏するミュージシャンを集めた。」
楽器をもって演奏できる人が集まる場所が決められ、演奏能力によってバンドわけが行われました。
それから横浜や厚木などの基地に運ばれ、そこで一晩演奏をしたそうです。
ギャラはとても良くて、応募する人も多く、だんだんと優秀なバンドが育ってきたそうです。
第3問答え
「日本のサッチモ、ルイ・アームストロング」です。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
藤林祐聖さんの回は、radikoでお聴き頂けます♪
http://radiko.jp/#!/live/YFM
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20200204013000
This program is brought to you by CERTE.
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪