横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2020年1月27日

今回のゲストはベースマンとしては超一流のミュージシャン、そしてShiningroadのメンバーでも

ある関雅夫さんでした。

滝ともはる、関雅夫さん、米重優哉

田真二さんとクライシスのメンバーとしてステージではダンスも踊っていた関雅夫さんも参加して頂いた、

「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のテーマは近代病院です。

 

1868(慶応4/明治1)年横浜に軍陣病院という名前の病院ができました。

グンジンのジンは陣地の陣です。

この軍陣病院が日本で最初の日本人向けの近代病院だと言われています。

実はこの病院が出来る裏話としてあるイギリス人の医者の活躍がありました。

北アイルランド生まれのウイリアム・ウイリスさんはイギリス領事館員として来日したお医者さんでした。

ウィリアム・ウィリス(Dr.William Willis).jpg

クイズ横浜第1問

幕末の戊辰戦争で多くの日本人が傷つきました。

しかしこの戦争の負傷者は今までとは違い、日本人の医者ではなかなか対応できませんでした。

それは何故だったのでしょうか?

ヒント

西郷隆盛の弟の従道も鳥羽伏見の戦いで銃弾が足を貫通するという大怪我をしました。

ウイリスが特別に治療に当たったことはNHK大河ドラマ「西郷どん」でも出てきました。

傷口に軟膏を塗るだけの日本の医者の前で大量出血で死んでいく兵士が多かったそうです。

フィリスさんはクロロフォルムを使った外科手術や大胆な切断手術で多くの兵士の命を救いました。

 

ウイリスさんの評判を聞いた新政府は鳥羽伏見の戦いで負傷した兵士の為にウイリスさんに

京都に来て治療することを依頼しました。これは江戸時代になって外国人が京都滞在を

許可された最初の例だったそうです。

 

クイズ横浜第2問

一躍有名になったウイリスさんに新政府はさらに横浜に負傷兵のための病院を作るように依頼しました。

これが軍陣病院です。政府はウイリスさんに報いようと大変な金額のオファーを出しました。

神奈川軍陣病院

さてウイリスさんは何と答えたでしょうか?

ヒント

これしかないですね。かっこいい。

 

ウイリスさんは新政府軍に同行してあることに気付きました。

幕府軍の負傷者が異様に少ないということです。

新政府軍は敗残兵を虐殺していたのです。ウイリスさんは新政府に働きかけてこの虐殺を止め、

敗者にも治療機会を与えることを主張しました。その結果新潟の戦線ではウイリスさんは1600人の

負傷兵の治療にあたり、900人は新政府軍、700人は幕府軍だったそうです。

クイズ横浜第3問

しかしどんどん増える負傷者の数、ウイリスさんが去った後でも治療が必要な患者が残ります。

ウイリスさんはこの負傷者全員の手当てをするためにどのような手段を使ったでしょうか?

ヒント

ある意味、日本人の優秀さが発揮されました。

第1問答え

「負傷兵の90%以上は今までのような刀の傷ではなく銃弾の傷だった。」

第2問答え

「お金はいらない。」

今のお金にすると月額数百万円のお金のオファーに対して、自分はイギリス領事館の職員であり、

特別なお金をもらうわけにはいかない、と言ったそうです。さすが英国紳士!

ウイリスさんは後に新潟戦線から会津陥落まで新政府軍に同行しますが、領事館のわずかな給料以外は

一切お金を受け取らなかったそうです。それだけではなく貧しい負傷兵の為に自費で栄養のある食料を買い与え、

お金が足りなくて充分に栄養を取らせることができないことを彼らにわびたそうです。

第3問答え

「日本人の医者に治療法を教えた。」

ウイリスさんは現場に着くと、日本人の医者たちをアシスタントにしました。

まずは大量の出血を止めること、銃弾を取り出すこと、傷口が化膿しないように消毒して縫い合わせること、

間に合わなければ切断手術をすることなどを丁寧に日本の医者たちに教えたそうです。

漢方の薬を調合することが仕事だった日本の医者たちも、ウイリスさんの治療で回復していく負傷者たちを見て、

一生懸命新しい技術を学び、立派に彼が去った後も治療を続けることができたそうです。

攘夷に凝り固まっていた兵士たちの考え方も次第に変化してきたそうです。

ちなみに彼の作った横浜軍陣病院は後に東京に移され、東京大学の医学部になったそうです。

 

ウイリスさんの功績は大いに評価されたのですが、日本の医学の主流がドイツ医学になったこともあり、

東京に居づらくなったウイリスさんは西郷隆盛に頼まれて東京を離れ、薩摩に病院を作りました。

しかし西南戦争が起こり、西郷さんについて従軍することを希望したのですが、西郷さんが許さず、

鹿児島陥落直前に鹿児島を去り、その後失意の中でイギリスに帰国したそうです。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

関雅夫さんの回は、radikoでお聴き頂けます

http://radiko.jp/#!/live/YFM

http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20200204013000

This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく

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