横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2019年9月23日

今回のゲストは滝ともはると組んだバンドShining Roadのリーダー川勝陽一さんでした

滝ともはる、川勝陽一さん、米重優哉

国内では中原めいこ、麻倉未稀、沢田知可子、中山美穂、雪村いづみなど多くのレコーディングや

ツアーサポートを務め、海外アーティストのティナ・アリーナ、チャカ・カーンらのジャパン・ツアーに

キーボードとして参加

つのだ☆ひろの音楽プロデューサーもやってのける川勝陽一さんも参加して頂いた、

「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のクイズ横浜は川勝さんにちなんだ問題です。

本牧は元町や中華街の南側の地域で戦後進駐軍が駐留していたためにアメリカ文化が

直接日本に入って来た地域です。

元々本牧は台地が東京湾に突き出した地域で、現在は海岸がすべて埋め立てられています。

敗戦直後に本牧の住民は米軍に強制退去させられ、接収地域は金網のフェンスで囲まれました。

フェンス内は在日アメリカ海軍の住宅街『ベイサイド・コート』などの施設となり、

日本におけるジャズなどのアメリカ文化の発信地にもなりました。

ベイサイドコート

クイズ横浜第1問

現在の本牧バス通りの海側をアメリカ兵たちは○○○○と呼びました

そして、山側を○○○○と称しました。

柳ジョージさんの「フェンスの向こうのアメリカ」の歌詞にも出てくるのがこの地域です

さてなんと呼んだのでしょうか

ヒント

地域を英語で言うと・・・?

 

進駐軍の兵士たちの為にいろいろな店が本牧に出来ました。

音楽の生演奏をする店も多数できました。

1964年に出来たゴールデンカップスというお店もアメリカ兵相手の生演奏ができる店でした。

この店のハウスバンドもゴールデンカップス。

エディ藩さんもオリジナルメンバーでした。

ゴールデンカップス



クイズ横浜第2問

世はGSブーム。ゴールデンカップスは歌手の黛ジュンさんが東芝レコードに

「すごいバンドがいる」と紹介して「いとしのジザベル」という曲でデビューしました。

お店の方のゴールデンカップスではその後はいろいろなバンドが演奏したのですが、

日本を代表するほどビッグになったある人がこの店に登場するようになりました。

彼のバンドは当時は「ザ・ベース」というバンドでした

このビッグスターとは誰だったでしょうか

ヒント

その後の活躍は目覚ましく、彼にとっては時間が止まったような感じではなかったでしょうか

 

戦後いろいろな音楽の店が出来た時に今の加賀屋町警察のあたりに米軍の下士官専門の

ゼブラ・クラブという店が出来ました。下士官の階級章が白と青の斜めの縞が入っているところから

とられました。

ゼブラクラブ

クイズ横浜

ここでゴールデンカップスをしのぐ人気を誇るようになるクライングベガーズというバンドが歌っていました。このバンドができるきっかけはバンドのリードヴォーカルが病気で出られなくなり、

急遽クロークでバイトしていた若者をステージに立たせたところ人気が出てしまったという有名バンドです。

この店ではクライングベガーズという名で出演していましたが、東京では皆さんに馴染のある

別の名前で出ていました。さてこの若者の名前は誰でしょうか?

ヒント

バンドのグループには三人ケンちゃんがいたそうです。

大きなけんちゃん、中くらいのケンちゃん、小さなケンちゃん、

この有名人は小さなケンちゃんと呼ばれていました

第1問答え

「エリア1 エリア2」

海側がエリア1で一般の兵士の住宅

山側のエリア2が下士官と映画館やボーリング場などの施設

その丘の上がエリアXと言われた将校の住宅だったそうです

第2問答え

「矢沢永吉」

第3問答え

「ショーケン(萩原健一)」 テンプターズのリードヴォーカルでした。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

川勝陽一さんの回は、radikoでお聴き頂けます♪
   ↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190813013000


  
This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪

 

 

 

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