
今回のゲストは「なんと」御歳8十うん?才の現役シンガー相島ミエコさんでした。
戸塚駅で洋装店コティを経営し、クラウンレコードから「岸辺はまだ遠い」の再リリースもされた
相島ミエコさんも参加して頂いた、「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)
今回のクイズ横浜のテーマは2024年に新しい5000円札紙幣の新しい顔になる津田梅子。
津田梅子さんは女性地位向上のために活躍し、津田塾大学を作りました。
(ちなみに1万円札は渋沢栄一さん1000円札は北里柴三郎さんです)
では津田梅子さんという人はどんな人だったのでしょうか?
1871年、新政府は西洋を直接見る必要があるということで大久保利通など政府の要人たちが
そろって外遊する岩倉使節団が横浜から欧米に派遣されました。
その中で5人の女性が加わりましたが、最年少だったのが津田梅子さんでした。
クイズ横浜第1問
さて梅子さんはその時何歳だったでしょうか?
ヒント
今だったら小学生ですね。
いたいけな少女を見て、どんな親がこんなひどいことをするのだと話題になったといいます
そんな鬼みたいな父親だと言われたのがお父さんの津田仙(せん)さん、
このお父さんがなかなかの人です。
津田仙さんは千葉の佐倉藩の出身で、「新しいもの大好き人間」でした。ペリーが横浜に現れたことを聞いて、黒船を見たい!と言って横浜に駆けつけたそうです。黒船に衝撃を受けた仙さんは「これからは英語だ!」と横浜に引っ越して宣教師について英語を猛勉強。
そのかいがあり1867年通訳としてアメリカに派遣されました。
クイズ横浜第2問
女性の地位向上に積極的に見える仙さんでしたが、二人目の子供の梅子さんが生まれるときに、
自宅で「今度は男!」と祈願したそうですが、女の子と聞いてちょっと家族が心配するような行動をとりました。さてどんな行動をとったのでしょうか?
ヒント
昔の男性は精神的には子供だったのでしょうね。
子供みたいな態度をとりました。
さてアメリカに行った梅子さんはなんとそれから11年間もアメリカにとどまりました。
一度帰国した梅子さんですが、女子留学生は帰国後の就職先は全くなく、失望してアメリカに戻ります。
しかし女性の地位向上には、やっぱり日本での女性教育が必要だということで再度帰国、
1900年、梅子35歳の時に女子英学塾を設立しました。この学校が今の津田塾大学です。
クイズ横浜第3問
一方お父さんは築地に出来た初の西洋風ホテル「築地ホテル」の開設に力をつくしました。
外国人から新鮮なあるものを食べたい!との強い要請を受けて、もともと侍だった身分のプライドを捨てて
あるものを作る仕事に転身しました。
さてどんな仕事を始めたのでしょうか?
ヒント
当時の身分社会では低い身分の人がするものだと思われていました
第1問答え
「満6歳」
船の中で7歳になりました。
第2問答え
「家を出て、その日は家に帰ってこなかった。」
第3問答え
侍のプライドを捨てて西洋野菜を作る
「農民になった。」
当時の日本は葉物の野菜が少なかったのです
以上クイズ横浜おさらいでした。
さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
相島ミエ子さんの回は、radikoでお聴き頂けます♪
↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190813013000
This program is brought to you by CERTE.
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪