横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2019年7月8日

今回のゲストは元シグナル、現HUKUROHのメンバーそしてソロギタリストの

住出勝則さんでした

滝ともはる、住出勝則さん、米重優哉

ポール・マッカートニー & ウイングス』の元ギタリスト、Laurence Jubeなんかと軽く

ワールドツアーもやっちゃう住出勝則さんも参加して頂いた

「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のクイズのテーマは電話です

 

電話機が発明されたのは明治9年(1876年)のことでした。

アメリカのグラハム・ベルによって発明されました。

アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander-Graham-Bell)

驚くことに、横浜のパヴェル商会という会社がその翌年にはすでに2台輸入していたそうです。

それがこのガワーベル電話機です。

ガワーベル電話機

クイズ横浜第1問

この電話が最初に使用されたのは、実は横浜の警察署とある場所の間だったそうです。

さて警察とつながったある場所とはどこだったでしょうか?

ヒント

治安のためと言いましょうか、犯罪者が多かったのでしょうか

 

横浜と東京に間に一般電話回線が敷かれたのは明治23年(1890年)のことだそうです。

クイズ横浜第2問

最初の交換手は男性だったそうですが、評判が悪く女性にすぐに変わったそうです。

女性交換手の女性が「申す、申す」を「もしもし」といったので「もしもし」という言葉が始まったと

言われていますが、評判の悪かった男性交換手はなんと言っていたのでしょうか?

ヒント

まさに警官と同じ発想ですね。「なんだよ、悪いか!」と言い返したくなりますね

お役人はえらい、という発想だったのでしょうか?

 

最初はなかなか普及せずに一般の人も利用できるように公衆電話が設けられました。

最初に出来たのは横浜の裁判所の中、続いて都内各所に設置されました。

明治時代の公衆電話

電話のかけ方はまずは交換手を呼び出し、相手の番号を言います。

すると料金が言われて目の前の料金箱に入れるのですが、10銭を入れた時は鐘を鳴らし、

5銭を入れた時はゴングを鳴らして交換手に伝えるという何とも言えないシステム。

クイズ横浜第3問

さてこんな方法でちゃんと回収できたのは全体の何パーセントくらいだったのでしょうか?

ヒント

やっぱり人を信じちゃいけないのでしょうか?

第1問答え

「戸部の監獄署と横浜本町警察本部の間に電話が架設された」そうです

第2問答え

「おいおい」

第3問答え

「20%」

次第に定額制となり、不正出来なくなってきたそうです。

その後電話は一般家庭にも普及し始め、電話機は最初は近所の人にも使えるように

玄関に置かれていたのですが、電話が各家庭に一台普及すると昭和の時代のドラマのように

電話機は茶の間に置かれるようになりました。

個人が携帯を持つようになった現代、家庭の電話は今どこに置かれているのでしょうか?

以上クイズ横浜おさらいでした。

さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

住出勝則さんの回は、今からでもradikoでお聴き頂けます♪
   ↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190319013000


  
This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪

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