横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2019年7月15日

今回のゲストは日本屈指の名車日産スカイライン(1972年)のCMソング、ケンとメリー〜愛と風のように〜

でお馴染みの元BUZZの東郷昌和さんでした。

東郷昌和さん、滝ともはる、米重優哉

テレビ神奈川の音楽番組「名曲アワー」の司会も始められた東郷昌和さんも参加して頂いた

「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のクイズのテーマは氷です。

江戸時代には夏の暑い時に氷があるというのはとても贅沢なことでした。

夏にも氷を解かさない技術というのはとても難しく、初めて世界中に氷を運搬できたのは

アメリカのボストンの会社で「ボストン氷」と呼ばれて非常に高価なものでした。

1805年世界初の天然氷の採氷、蔵氷、販売事業を起こした、ウェナムレイク・アイスカンパニーの創業者米国人フレデリック・テューダー(Frederic_Tudor)

明治になり肉の保存や医学の発展の為に氷の確保の大切さが認識され、中川嘉兵衛さんという人が

氷の輸送と保存にチャレンジしました。

中川嘉兵衛

クイズ横浜第1問

まずは富士山の氷を横浜に運ぶことを考えました。

富士山から馬に木箱を積み静岡まで運ばせ、静岡から横浜までは船で運んだそうですが、この100トンの氷、

横浜に着いたときは7トンになっていたそうです。

さてこの時氷が解けないように木箱の中に何を敷き詰めたのでしょうか?

ヒント

今は勿論発泡スチロールですが、滝さんの子供のころにはこれがよく使われていました。

木箱が使われるところから考えてみてください。

木そのものよりそれが変形したものの方がよかったのですね。

 

しかし中川さんはあきらめません。諏訪湖、日光、釜石、青森と、本州の寒冷地を北上しながら採氷しました。

そしてアメリカから採氷機を輸入して、手作業で行っていた採氷を効率化するなど良質の天然水と輸送手段の

改善をしました。

クイズ横浜第2問

そして7度目にあるところからの搬送に成功しました。

良質の水があり、横浜と同じ開港をしたこの北の国の町はどこでしょうか。

ヒント

開港した北海道のこの街も横浜と同じようなレトロな街並みが残されて有名な観光地になっています。

中心は元町と呼ばれていますが、神戸や長崎ではありません。

中川嘉兵衛さん、実は氷を始めるきっかけが横浜の医者で宣教師のヘボンさんのアドヴァイスがあった言われています。

ヘボンさんは栄養的に日本の食材の中でも日本人にかけているものが二つあると言いました。

ジェームス・カーティス・ヘボン

クイズ横浜第3問

アドヴァイスに従って中川さんはこの二つの販売を始めます。

前にクイズで紹介した日本最初の牛乳屋さん前田留吉さんに続いて牛乳を販売しました。

さてもう一つは何だったでしょうか?

ヒント

滝さんも大好きなものです。

文明開化の代表のようなものです、

ヘボンさんはこのふたつが腐ることを恐れて氷が安く手にはいれば日本人はより健康になると言いました。

さてこの腐りやすいものは何だったでしょうか?

デザートじゃなくて焼いて食べるとおいしいです。

第1問答え

「おがくず(大鋸屑のこぎりの削りカス)カンナクズとも言う」

第2問答え

「函館」

それまでのボストン氷はアメリカからアフリカの喜望峰を通ってはるばる送られてきたのですが、

この函館氷は価格、質ともこれをしのいだと言われています。

第3問答え

「牛肉」

当時はすでに数軒牛肉を食べさせる店はあったようですが、中川さんは牛肉の供給ルートの開発を行い、

横浜だけではなく江戸へのビジネスを展開しました。

しかしその過程で氷の魅力に取りつかれてしまったのです。

その後、機械で氷を作る製氷機も作られて行くのですが、この中川嘉兵衛さんのお店はその後も発展を続けて、

現在は「ニチレイ」という大会社に発展しました。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

東郷昌和さんの回は、今からでもradikoでお聴き頂けます♪
   ↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190319013000


  
This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪

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