
今回のゲストは3月に東京鮮烈sess!on 1st albm 「Brother's vibe」をリリースされた
タップダンサーの丹精さんでした。
ビール、揚げ茄子、ラーメン、カレー、バゲットにオリーブオイルが大好物で
月の半分以上を演奏旅に費やしているという丹精さんも参加して頂いた
「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)
今回のクイズのテーマは新聞、2回目ですよ。
日本で初めての「新聞」と呼ばれた印刷物は、1861年に発行された英字新聞のデイリー・ジャパン・ヘラルドです。
江戸時代なんですね。
日本語で印刷された新聞は1862年に発行された『官板(かんばん)バタヒヤ新聞』です。
バタヒヤとは、オランダ植民地時代のインドネシアの首都ジャカルタのことです。
海外からの情報をシャットアウトしていた幕府が、世の中の流れを考えて海外情報を一般に公開した
日本で初めての日本語新聞でした。
新聞という名前がついていましたが、実際は雑誌のようなもの、翻訳を担当したのが幕府の洋学研究施設の
蕃書調所(ばんしょしらべどころ)というところ。
この蕃(ばん)という漢字の意味は「未開の土地の人」という意味です。
クイズ横浜第1問
流石に蕃書はまずいということで1864年に開成所。
開くに成功の成という字に名前を変えます。そして維新後は開成学校と再び名前を変えました。
この開成学校その後とっても有名な学校になるのですが、なんという学校でしょうか?
ヒント
門の色が赤いので有名です
現在のように毎日発行される新聞が最初に出来たのは横浜です。
名前は横浜毎日新聞。当初は貿易に関する情報が紙面の中心となっていました。
この新聞社の記者として有名になったのは軽妙な小説を書いた仮名垣魯文(かながきろぶん)さん。
福沢諭吉の西洋の旅の本を「東海道中膝栗毛」風にした「西洋道中膝栗毛」や
庶民の生活を描いた「安愚楽鍋」(あぐらなべ)で人気作家になりました。
クイズ横浜第2問
魯文さんはその後チラシのコピーライターをはじめ日本で最初のあるテーマの雑誌を初めて創刊しました。
今では驚くほどの部数を発行しているこの手の雑誌ですが、どんな雑誌だったのでしょうか?
ヒント
当時天才絵師といわれていた河鍋暁斎(かわなべきょうさい ※「ぎょう」ではなく「きょう」と読む)が
絵を描きました。ちょっと鳥獣戯画に似ているかな?今や世界で日本のこれは高い評価を得ています。
この答えのなんとか◯〇〇というのはイギリス人のワーグマンによって出版された「ジャパン・パンチ」をもじったものです。
ワーグマンは22年にわたってこの雑誌でとてもユニークな風刺画を残したのですが、いろいろな事件にも
立ち会ってその瞬間を絵として再現しました。
当時イギリス領事館のあった高輪の東禅寺に攘夷派の浪人が襲撃、一等書記官のオリファントが鞭で反撃している様子を生々しく作品にしています。
クイズ横浜第3問
オリファンはこの事件で重傷を負い、襖の裏に隠れている長崎領事のモリソンもけがをしました。
しかしワーグマンはうまく身を隠してこの様子をうかがっていたそうですが、いったいどこに隠れていたのでしょうか?
ヒント
ずっとそこにいたら何も見えなかったと思われますが、うまく見えるところもあったのでしょうか?
忍者が隠れる定番のところですが、天井ではありません
第1問答え
「東京大学」
政府の学問所だった昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)、と開成学校、医学所の三つの学校を一緒にして
明治10年(1877年)東京大学が出来ました。
第2問答え
『絵新聞日本地(えしんぶんにっポンチ』という日本初の漫画雑誌を刊行したのですね。
第3問答え
「床下」
当時外国人は常に襲撃の危険を感じていました。そのためにいつも身を隠すところを探していたのでしょう。
その後ワーグマンは日本にとどまり、小沢かなさんという女性と結婚をします。
そして一郎という名の男の子を授かります。ワーグマンは死後横浜の外人墓地に埋葬されました。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
丹精さんの回は、今からでもradikoでお聴き頂けます♪
↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190319013000
This program is brought to you by CERTE.
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪