横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2019年6月17日

今回のゲストはFMYokohamaにてレギュラー番組『ファンタジア~聴けるリゾート&スパ』でDJを

されていたのですっかりお馴染みのsayaさんでした。

滝ともはる、sayaさん、米重優哉

8月6日にはパラダイスカフェでライブをして頂くsayaさんも参加して頂いた「横浜の夜は眠らない」

番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい

横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)

今回のテーマは灯台です

横浜といえば港です。港には船が来ますが、その船が安全に走行できるように灯台が必要になりました。

そのためにイギリスからブラントンさんという人が呼ばれました。

ブラントンさんはその後横浜の近代的な街づくりに大きな貢献をするのですが。

リチャード・ヘンリー・ブラントン

クイズ横浜第1問

ブラントンさんの最初の仕事は横浜に灯台を作ることでした。

しかしそれは普通の灯台ではなく、灯台の役割を果たす移動式の灯台でした。

さてどんな灯台を作ったのでしょうか?

ヒント

灯台は普通、岸に作りますね、でも沖の方に明かりがほしい時には欧米ではこうしていたそうです。

海の上で移動が可能といえばこれですよね

 

ブラントンさんは日本全国26か所に灯台を建てました。

台風情報でよく出てくる銚子の犬吠埼灯台(いぬぼうざき)などは国の有形文化財に指定されています。

彼の作った灯台は特に地震に強くそのうち17か所の灯台が現存しています。

犬吠埼灯台

クイズ横浜第2問

しかし最初に灯台の巨大な光を発するレンズを見た時に村人は灯台建設中止の反対運動を起こしました。

漁民たちは巨大レンズで光を発するとどんなことが起こると言って反対したのでしょうか?

ヒント

漁師さんたちの仕事に影響が及ぼすというと・・・そういうことですよね

さてブラントンさんの横浜の街つくりです。

横浜の街並みは最初から洋館が立ち並んでいたわけではありませんでした。

最初は幕府が居留地での宿泊用に日本家屋を建てました。

しかし例の遊郭などが燃えた豚屋火事(豚肉料理屋から火が出たので後にこう呼ばれています)で

居留地が大きな被害を被ってからは外国公館の要請で横浜の街の大改造が始まりました。

防火の為に石造りの洋館と広い道路、衛生的な下水道、市民の憩いの場の公園がつくられました。

そしてなんとその全部をブラントンさんが作りました。

豚屋火事の図

ブラントン設計吉田橋「鉄(かね)の橋」

クイズ横浜第3問

居留地は埋立地だったのでいつもじめじめして不衛生でした。

ブラントンはまずここの改良に手を付け、その後に下水道を作りました。

まず最初にこのじめじめさを取り除くために何をしたのでしょうか?

ヒント

海面より低い土地はどうしてもじめじめしてしまいます。

ということは陸を高くすればいいのですね。

第1問答え

1868年横浜港内に「船の灯台を作った」そうです。

灯台の灯りの船、灯明船(とうめいせん)もしくは(とうみょうだい)と呼ばれました。

灯明台

第2問答え

「漁師たちが、魚が逃げてしまうと言って反対運動を起こしました。」

しかし結果として魚が明かりに呼び寄せられて空前の大漁だったそうです。

(※大阪国際空港でも同じことが起こったそうです・・・)

 

第3問答え

土地の高さをあげるために「盛り土をしました。」

 

関内にはすぐに大きな遊郭が作られました。

実は外国人は遊郭を欲しがったわけではなかったのです。

幕府が考えすぎたのですね。

外国人たちは焼け跡に遊郭ではなくスポーツを楽しめる公園を希望しました。

西洋風の横浜公園の誕生です。

さらに、居留地のど真ん中に日本大通りという広い道をつくり、両サイドに立派な洋館を作り、

火事で延焼しない街を作りました。

ブラントンさんの銅像は現在横浜公園の入り口に建てられています。

ブラントンの胸像~横浜公園~

以上クイズ横浜おさらいでした。

さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

sayaさんの回は、今からでもradikoでお聴き頂けます♪
   ↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190319013000


  
This program is brought to you by CERTE.
  
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪

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