
今回のゲストは「良い子悪い子普通の子」(ご存じない?こらまった失礼しました)の
フツオ君で一世を風靡しその後ソロ転向、さらにはNHKのスポーツ番組でスノボのインストラクターとして
さらには2006年トリノオリンピックにコーチとして参加した長江健次さんでした。
秋になったらパラダイスカフェへのライブにも登場していただける予定の長江健次さんに
参加して頂いた「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよ。というみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!! 学校や会社や飲み会の席で語ってください)
西洋の建築は鮮やかな色のペンキが外壁に塗られますが、日本でのペンキ塗装の始まりは
やはりペリーがきっかけでした。
ペリーが横浜に来た時、幕府は現在の県庁の付近に大急ぎで応接所なるものを作りました。
そして江戸の塗装職人・町田辰五郎にこの応接所の建物の外壁に西洋風のペンキを塗ることを命じました。
クイズ横浜第1問
困ったのは町田辰五郎さん、ペンキを作ろうと独自で塗料を調合しましたが、完成に至らず。
困り果てた辰五郎さんはあることを思いついてペンキを手に入れました。さてどんな手を使ったのでしょうか?
ヒント
もう黒船は横浜の海に停泊中、その時に横浜でペンキを持っている可能性があるのはほかでもない・・・だれでしょう?
そう、辰五郎さん海を見たのです。
めでたく応接所の外壁のペンキを塗れた辰五郎さんは幕府からお褒めの言葉をもらい、
外国公館塗装の特権をもらったそうです。
ペンキはその後文明開化になくてはならないものになり、輸入されたものが機関車や馬車など
様々なものに使用されて行くのですが、明治14年に日本で最初のペンキ会社「弘明社(こうめいしゃ)」が出来ました。
クイズ横浜第2問
この会社が出来たきっかけは、横須賀に出来たあるものに塗るために作られました。
日本で最初に横須賀で作られたものは何だったでしょうか?
ヒント
横須賀といえば有名なものはカレーだけではありませんよ
さて少し話はずれますが、幕末には町田辰五郎さんという名前の有名人がもう一人いました。。
司馬遼太郎さんの小説にも出てくる幕末の有名な江戸の火消しの親分で「侠客中の侠客」と言われた
歌舞伎やシンパの舞台で有名な通称、新門(しんもん)辰五郎さん。実は本名が町田辰五郎といいました。
クイズ横浜第3問
この新門辰五郎さんは普通の火消しの親分だったのですが、彼の娘が幕末のある有名人の妾(めかけ)となった時から
彼の人生は変わりました。さてこの幕末の有名人とは誰だったでしょうか?この娘の愛人はとんでもない人です。
ヒント
幕末、この有名人が京都に転勤になったので辰五郎さんも子分たちを連れて京都に行き彼を警護しました。
その人の元の苗字は一橋です。
第1問答え
「通訳を通して横浜沖に黒船の通訳に掛け合った」そうです。
話を聞いたペリーの側近のコンティエさんは船に積んであったペンキを分けてくれたそうです。
第2問答え
造船所ができました。そして日本海軍の軍艦が出来ていったのです。
その軍艦に塗るペンキを製造する為に日本で最初のペンキ会社が作られました。
この会社が現在の日本ペイントです
第3問答え
「徳川慶喜」
辰五郎の娘のお芳(よし)さん。一橋家に行儀見習いのための女中奉公をしていた時に
慶喜が美人のお芳に目をつけたと言われています。
辰五郎さんは京都御所と二条城の警護を依頼されて200人の子分を連れて、侠客なのですが将軍の警護に当たりました。
ペンキには関係のない話で失礼しました。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
長江健次さんの回は、radikoにてお聴き頂けます♪
↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190319013000
This program is brought to you by CERTE.
月曜の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
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