
今回のゲストは2回目のご登場となる川村ゆうこさんでした。
日本で初めてアーティスト小室等さん、吉田拓郎さん、井上陽水さん、泉谷しげるさんが創立した
レコード会社フォーライフレコードの5人目のフォーライフとしてデビューした川村ゆうこさんにも
参加していて頂いた「横浜の夜は眠らない」番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい
横浜にまつわるトリビュートをお伝えしますね。
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!!明日学校や会社や飲み会の席で語ってください)
江戸時代はキリスト教が禁止されていたのは有名な話ですね。
横浜開港が決まって外国人が来るようになってもしばらくキリスト教は禁止されていました
しかし各国からの圧力もあり、政府としては何らかの対策をとらざるを得なくなりました。
クイズ横浜第1問
安政4(1857)年にまず、長崎と下田である制度を廃止するという布告が出されます。
何が廃止されたのでしょうか?
というかまだあったのですね、こんなことが。
ヒント
キリシタンを見つけるために日本独特の手法があったのですね
翌年、外国人居留地でのキリスト教信仰が認められます。
開港後はスペインなどのカトリックではなく、アメリカ人のプロテスタントの宣教師が多く来ました。
彼らは布教よりも医学と教育にその力を発揮しました。
この番組でも何度も取り上げた医者のヘボンさんはその典型ですが、実は布教に来た宣教師の3分の2は
女性で、彼女たちは特に教育に力を入れました。
そんな人たちの代表とも言えるのがフェリス女学院の創立者のメアリー・キダーさんです。
彼女は宣教師として来日してヘボン塾で教えているうちに日本の女性の地位が低いことに気付き、
女学校を作ることを決意しました。
この計画に共感したのが神奈川県の副知事だった大江卓(おおえたく)という人でした。
大江さんは土佐の坂本龍馬の同志。陸奥宗光の推薦で横浜に来て人権を守る運動を推進していました。
大江さんはキダーさんに野毛の官舎の一部を提供しました。これがフェリス女学院の始まりでした。
クイズ横浜第2問
大江さんは山手から野毛まで通うキダーさんの為に自費で支払いをしてキダーさんを助けました。
さて何をしてあげたのでしょうか?
ヒント
今でいうとハイヤーを雇ってあげるということでしょうか、
ギダーさんはまじめ一本の人、結婚相手も完璧でなければいけないと思い、やっと39歳で
同僚のアメリカ人宣教師と結婚にこぎつけました。
クイズ横浜第3問
自分が「理想の人」をなかなか見つけられなかったので、横浜の若い人たちに
チャンスをあげようとあることを始めました。さて何をしたのでしょうか?
ヒント
お見合い、とまではいきませんがそのきっかけですね
第1問答え
「踏み絵」
実は最初は踏み絵を踏まなかったキリシタンですが、信仰は心の問題だから絵を踏んでも
問題はないと本国からの指令がでて、実際は踏み絵の効果はその当時はなくなっていたそうです。
第2問答え
「自腹でキダ―さんのために毎日人力車を雇った。」
第3問答え
「ミッションスクール主催のパーティを開いた。」
今でいうと婚活パーティでしょうか
キダーさんが目をつけておいた若い男性の数がそろうと、学校の女子生徒をあつめて
ミッションスクールでパーティを開いたそうです。
明治時代を代表する文化人の内村鑑三さんや島崎藤村さんなども招待状をもらって
大喜びをしたという文章が残っているので男性にとってもキューピットだったのでしょうね。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
川村ゆうこさんの回は、radikoにてお聴き頂けます♪
↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190319013000
This program is brought to you by CERTE.
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