横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2019年3月11日

今回のゲストは黒沢博さんでした!

滝ともはる、黒沢博さん、米重優哉(クイズ横浜担当)

横浜愛に加えてプレスリー愛が強すぎる、あの「三年目の浮気」で有名な黒沢博さんにも

参加していて頂いた番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!!)

火を簡単に手に入れることは人類の悲願でした。

19世紀に発火温度の低い燐(りん)の性質を活用することで火をつける発火具が発明されました。

最初は扱いずらいとても危険なものだったのですが、1827年、イギリスの薬剤師のウォーカーさん

という人が「こする」ことで火をつける初めての「摩擦マッチ」を発明しました。

清水誠新燧社のマッチ

明治8年横浜・弁天通の持丸幸助(もちまるこうすけ)さんという人がアメリカから機械を

取り寄せ、マッチ工場を作ったのが日本における最初のマッチ製造といわれています。

クイズ横浜第1問

持丸さんが作った最初のマッチのラベルにはある文明開化の象徴ともいえるあるものが描かれていました。

さて何が描かれていたのでしょうか?

ヒント

文明開化の象徴ですね。1814年、アメリカでもこれで大陸横断ができるようになって

一気に国力を強化しました。

マッチのラベルは美しいものが多く、明治の初期のものなどはコレクターの間で高値がついているそうです。

 

さて最初に出来たマッチは黄燐マッチといって、壁にこすりつけるだけで火がつきました。

西部劇でよく見かけましたね。しかしこれは発火しやすく、ポケットに入れていただけで

発火する大事故が相次いだそうですが、発火と燃焼を分ける安全マッチが発明されて安全なものに

なっていきました。

 

日本のマッチを語るうえで欠かせないのは清水誠という人の存在です。

清水は横須賀製鉄所に勤めた後に、公費で製鉄業の勉強の為にフランスに留学をします。

しかし外貨獲得の為の輸出品の開発を探していた日本政府は彼にマッチ製造を依頼。

彼は帰国して工場を建設しました。

マッチの製造で知られる清水誠

清水の作ったマッチのラベルはとても美しいものです。

というのはとんでもないルートを使ってとんでもないところで印刷されたからです。

彼の使ったルートは大隈重信、当時大隈は大蔵大臣で大阪に日本経済を左右するあるものを作っていました。

その機械を使わせてもらったのです

クイズ横浜第2問

さてこのマッチが印刷されたのはどこだったのでしょうか

ヒント

ここの仕事でできた印刷物(?)は滝さんの大好物です。

日本でのマッチ製造はその後、東京、神戸、大阪と生産地を増やし、

なんと20世紀初頭にはアメリカ、スエーデンと共に世界三大生産国になりました。

クイズ横浜第3問

日本が生産大国になれたのは日本にはあるものがたくさんあったからなのですが、

何がどこにたくさんあったのでしょうか?

ヒント

マッチに必要なのは硫黄(いおう)です。硫黄はどこにあるのでしょうか

第1問答え

「蒸気機関車」

第2問答え

「造幣局」 今も日本のお札は桜の通り抜けで有名な大阪の造幣局で作られています。

 

第3問答え

「火山です。」

日本には火山が多く、火山からは硫黄がたくさん取れたのでマッチの製造には都合がよかったのです

 

やがてマッチはライターの登場とともに「火をつける」という役割を減らし、喫煙人口の減少と共に

規模を縮小していくことになります。

以上クイズ横浜おさらいでした。

さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

黒沢博さんの回は、radikoにてお聴き頂けます♪
   ↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20190305013000
   
  
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