横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2019年2月18日

今回のゲストは、2回目の御出演MAREE ARAKYさんでした!

滝ともはる、MAREE ARAKYさん、米重優哉


 

マライア・キャリーに音感が似ているマリー・アラキーさんにも参加していて頂いた

番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!!)

下水道の整備は文化の象徴ですが、江戸時代は汚れた水は溝やどぶから堀や川に流していました。

勿論し尿は汲み取り式の為に下水には流されません。

話はそれますが、し尿は農作物の肥料として驚くほど高値で売られ、郊外の農民が江戸の街に

買いに来たそうです。大家さんの大切な収入源になっていました。

クイズ横浜第1問

汚い話で恐縮ですが、し尿にも高価なものと安いものがありました。

さて一番高いのはどんな人の?というか場所だったでしょうか?

ヒント

いいもの食べている人が高く売れたようです。

さて下水の話に戻ります。江戸時代の下水は溝に流すだけでした。

地下に埋めた土管を通す方法は神戸に一年遅れて明治2年、横浜の居留地で

ブラントンという人の設計で工事が始まりました。下水管は土を焼いた陶器製でした。

ブラントンはこの下水管を地下75センチのところに少しの傾斜をつけて自然に流れるように

設置したそうです。

イギリスではじまったこのシステムはコレラの発生を防ぐために考案され、衛生上は革新的な進歩でした。

クイズ横浜第2問

明治14年、三田善次郎という人が土管で作った従来のものを煉瓦作りに変え、形を円形から

卵型のものに変えました。

さて何故下水管を円形から卵型に変えたのでしょうか?

ヒント

卵型も実際は逆卵型、下の方が小さく細くなっていました。

クイズ横浜第3問

居留地の外国人には日本人の風習でどうしても我慢が出来ない風習がありました。

文明開化を目指す明治政府は罰金刑で厳しく取り締まりましたが、なかなか改善しませんでした。

そこで当時の横浜町会は町中の83か所にあるものを作りました。さて何を作ったのでしょうか?

ヒント

どうしても西洋人が我慢できない日本人の風習とは何だったのでしょうか?

昔は田舎に行くとよく見られた風景でしたが、さすがに最近では我慢するということを覚えたようですね

第1問答え

一般的には「勤番(きんばん)と呼ばれる大名の藩邸に勤務する武士のもの」が高価だったそうです。

特に一番好まれたのは吉原遊郭だそうです。一番いいものを食べていると思われたのでしょうね

第2問答え

わずかな水でも流れるように水かさを高くするために下の方を狭くしたそうです。

汚水はたまると匂いを発生する為に常に流れて清潔にする必要があったのです。

山下町37番地先から発掘された下水管

第3問答え

公衆トイレ

明治4年、横浜町会が83カ所に板で囲った“つじ便所”を設置。

これが日本の公衆トイレのはじまりとされています。

大江橋詰に設置された公衆便所??ではないか?

以上クイズ横浜おさらいでした。

さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

MAREE ARAKYさんの回は、radikoにてお聴き頂けます♪
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