横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2018年12月3日

今回のゲストは、NORAさんでした。

パラカフェオリジナルスイーツのパウンドケーキを持って微笑むNORAさん滝ともはる、米重優哉

世界的な人気を誇るサルサバンド「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のメインヴォーカルNORAさんにも

参加していて頂いた番組名物「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの最後

(これであなたも横浜通!!!)

戦争に音楽を使用するのは古代からありました。西洋ではラッパを用いて進軍の指令を出し、

日本ではほら貝を吹いて進軍の指令を出しました。

またギリシャ時代は攻撃の時に合図以外にも勇壮な曲を演奏して味方を鼓舞する楽団が存在していました。

クイズ横浜第1問

日本で最初に西洋式の軍楽隊を作ったのは薩摩藩だと言われています。

薩摩藩が軍楽隊を作ろうとしたきっかけはある事件からでした。その事件とはどんな事件だったのでしょうか?

ヒント

生麦事件をきっかけに英国の軍艦が薩摩を砲撃した薩英戦争が起こりました。

昼間は激しい戦闘をしたのですが、夜になると遠くの英国軍艦からある音が聞こえてきました。

最初は戦争中に音楽を鳴らして遊んでいるのは不謹慎だと怒り出す人もいたそうですが、その荘厳な音楽に

次第に感動して薩摩でも軍楽隊を作ろうという話になったそうです。

 

イギリス軍と和解した薩摩藩はイギリス軍から軍隊の組織について教えを請いました。

そして軍楽団の必要性を知り、上京していた兵士の中から30名の若者を募り、横浜でイギリス軍楽団の教えを請いました。

 

薩摩の軍楽伝習生たちは横浜市中区の妙香寺に寄宿して軍楽長のフェントンから軍楽を学びました。

ジョン・ウィリアム・フェントン

クイズ横浜第2問

とはいえ楽器がないのでイギリスから楽器が到着するまでは何をしていたでしょうか?

ヒント

音楽の勉強といえば?

翌年クラリネットやトランペットなど28本がロンドンから到着しました。

そして4か月後には山手公園で初の野外演奏会を開いたそうです。開国後の明治の若者の向上心は

驚くべきものがあったようです。あっという間に腕を上げて周囲を驚かせたそうです。

 

明治2年イギリス国王の子息エディンバラ公が来日することになりました。

クイズ横浜第3問

歓迎式典では日本政府が軍楽隊を呼んで公式行事をするのですが、それにあたって問題が発生しました。

さてどんな問題でしょうか?

ヒント

国際ルールでは何かを演奏しなければいけないのですが、その何かがない。

第1問答え

「戦死者を海の中に送る水葬式の時に軍楽隊が儀礼式を演奏したのを聞いて」

薩摩藩士が感動しました。

第2問答え

「楽譜の勉強ばかりさせられた」そうです。

第3問答え

「国歌がなかった。」

国の歌ですね、国際的な儀礼では相互の国歌を演奏するのがルールでした。

 

フェントンは日本政府に国歌を作ることを提唱しました。

そして「君が代」がその時に作られたのですが、詞は当時の薩摩藩の歩兵隊長だった大山巌(いわお)が

自分の愛唱歌だった薩摩琵琶の曲「蓬莱山」からとったという説があります。

作曲は最初フェントンがしたのですが、洋風すぎるということで西南戦争後、

宮内省式部職雅樂課の奥好義(おくよしいさ)がつけた旋律を上司の林廣守(はやしひろもり)が曲に起こし、

それをドイツ人の音楽家であり海軍軍楽教師フランツ・エッケルトが西洋風和声を付けた。とされています、

君が代はイギリス人の力を借りて出来たのですね。

フランツ・エッケルト
「君が代」の譜面の表紙

以上クイズ横浜おさらいでした。

さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?


 
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