今回のゲストは白井貴子さんでした。
神奈川は藤沢市出身、滝ともはるとご近所さん、かつての学園祭の女王、今は作詞家北山修さんとの
世代を超えたコラボ作品『涙河(NAMIDAGAWA)白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌う
が大好評の白井貴子さんも参加していて頂いた番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい
答えはこのコラムの最後
(これであなたも横浜通!!!)
横浜は山下公園の近くに「横浜人形の家」という記念館があります。
この人形は1927年にアメリカより横浜の本町小学校に寄贈され、1980年に横浜市に移管された「青い目の人形」
「ブロッソン」がここに展示されています。
一見すると普通の可愛い人形ですが、この人形には人間の深くて暗い醜さとそれを超える愛情が隠されているのです。
戦争の足音が聞こえてきた昭和初期の時代、アメリカでは軍国主義化した日本に対して、反日感情が高まりました。
昭和2年、アメリカ人宣教師のシドニー・ギーリック博士はそんな動きを懸念して、平和の心は子供たちから、
ということで全米に「日本の子供たちにアメリカの人形を贈ろう」という運動を始めました。
クイズ横浜第1問
ひな祭りに人形を贈る習慣が日本にあることを知ったギ―リックさんは「日本の子供たちにアメリカの人形を贈ろう」
という運動をはじめました。全米の州で親や子供たちが共感して、自主的にバザーや野外劇などをして多額の資金を
集めました。そして結果としてとても多くの手作りの人形が集められました。
さて大体何体くらいの人形が集まったと思いますか?
ヒント
これはクイズというより勘で答えてください。誤差10%を正解とします。
クイズ横浜第2問
この人形には外国に行くということで全員にあるものが持たされていたそうです。
さて、それは何だったでしょうか?
ヒント
私たちが外国に行く時には必ず持っていくものです
この運動に共感した日米5つの船会社が協力して横浜と神戸の港に運ばれてきました。
そして有名デパートなどで展示されたのちに日本の小中学校に配られました。
当時の学校数は約2万6千校でしたから、およそ日本の半分の学校にこの人形が届けられたそうです。
日本からも日本財界の重鎮、渋沢栄一さんらが中心になり、お返しを送ろうということになり、
各地の学校からの基金を中心にした募金で市松人形を48体アメリカに送りました。
しかし残念なことに第2次大戦が始まってしまいました。
クイズ横浜第3問
さらに残念なことがこの人形の身に起こってしまいました。
さてどんなことが起きたのでしょうか?
ヒント
戦争は残酷です。一番残酷なのは人の心に憎しみを植え付ける行為です
第1問答え
「12,739体」の人形が集まりました。
このプロジェクトに携わったアメリカの児童ならびに保護者、教師、関連団体等は凡そ260万人と言われています。
一番多かった州はオハイオ州の2,283体でした。
子供たちが資金を集め、母親たちが人形の衣装を手縫いで作ったという話もたくさん伝わっています。
第2問答え
「パスポート」
パスポートには人形の名前や出身地が書かれていました。
第3問答え
この青い目の人形たちは敵国の象徴として憎悪の対象になってしまいました。
ほとんどの人形は竹やり「訓練の標的にされたり焼却処分を受けました。」
しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を学校の天井裏、床下、物置、教員の自宅などに隠しました。
戦後にその一部が発見されました。残念ながら現存する人形は334体にすぎないのですが、
今は日米親善と平和を語る資料として大切に保存されています。
町に残った人形のパスポートから名前と出身地を知り、徳島の神山町(かみやまちょう)では
市民たちの代表団がアメリカにその人形を持って里帰りさせてアメリカの地元市民と家族ぐるみの交流を続けているそうです。
以上クイズ横浜おさらいでした。
さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
白井貴子さんの回は、radikoでお聴き頂けますよ。
↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20181218013000
This program is brought to you by CERTE.
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