今回のゲストは、AMAZONSの斉藤久美さん・大滝裕子さん・吉川智子さんでした。
ユーミンさん、久保田利伸さんのバックコーラスといえばAMAZONSでした
そんなAMAZONSの皆さんにも参加していて頂いた番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい
答えはこのコラムの後
(これであなたも横浜通)
鎌倉ハムという名前は有名ですね。でも鎌倉ハムというのは一つのブランド名ではないのをご存知ですか?
鎌倉で始まったハムづくりをいくつかの製造者がそれぞれの自社ブランド名に「鎌倉ハム」という名前を付けて
売り出したのです。そして鎌倉ハムは全国のハム製造の8割までしめるほどになりました。
明治7年、イギリス人のウィリアム・カーティスという人が鎌倉郡下柏尾村(しもかしおむら)に
観光ホテル「白馬亭」を開業しました。敷地内に牧場を作り、ハム・ソーセージなどの製造を行い、
主に横浜居留地の外国人向けに販売しました。ここから日本でのハムづくりが始まりました。
クイズ横浜第1問
カーティスがなぜわざわざ鎌倉で白馬亭を始めたのか?理由は諸説ありますが、ある有力な説があります。
40歳代で独身だった彼はある理由でこの場所にこだわったそうです。さてどんな理由だったでしょうか?
ヒント
居留地に住む外国人は週末は馬で湘南地方に出かけるのを楽しみにしていました。
カーティスはある日、戸塚宿のはずれにある茶店に立ち寄ったそうです・・・
クイズ横浜第2問
カーティスさんの作るハムは居留地を中心に大人気、しかしカーティスさん、最初は日本人にはハムの製造法を内緒にして、
工場の労働者も全部外国人でした。
ところが、明治17年にある事件が起こり、その事件をきっかけにカーティスさんは日本人にハムなどの製造法を
教えてくれるようになりました。さて何があったのでしょうか?
ヒント
困った時に助けてくれると心を開きますね。一瞬に起こる災害、そして日本人の勇気とは?
ここから鎌倉ハムが全国に広がっていきます。
今も鎌倉で鎌倉ハムを作り続けている富岡商会。創業者の富岡周蔵さんという人もその時に製造法を教わったひとりです。
クイズ横浜第3問
富岡商会は大船駅が開業した明治31年に駅構内で大船軒という名であるものを販売し大ヒットしました。
さて鎌倉ハムを使った何がヒットしたのでしょうか
ヒント
駅で売り出すものといえば、駅弁ですがどんな駅弁だったでしょうか?
第1問答え
「その茶店の看板娘、当時19歳の加藤かねさんに一目ぼれをした。」
それから毎週この店に立ち寄るようになり、思いを打ち明けたところ、かねさんもまんざらではなかったようで、
親の反対を押し切って二人で同居するようになったそうです。そしてその家を増築して
外国人用のホテル「白馬亭」を開いたそうです
第2問答え
明治17年に大きな地震が起き、工場が火事になりました、近隣の住民は工場に駆けつけて勇敢にも
消火作業に当たってくれました。感激したカーティスさんは世話になった人たちに秘密にしていたハムの製造法を
教えてくれたそうです。
第3問答え
「サンドイッチ弁当」
ちなみに大船駅では今でもそれを販売しておりますが、ちょっとシンプル過ぎるかもしれませんね
その後鎌倉ハムは名古屋や和歌山まで広がりました。和歌山で鎌倉ハムの製造をしていた
鳥清ハム(とりせい)はその後徳島ハムと合併して日本ハムになりました。
さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
深夜25:30〜26:00は、
FMヨコハマにて、滝ともはるの『横浜の夜は眠らない』でお楽しみ下さい。
This program is brought to you by CERTE.
月曜日の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
お聴き逃しの方は、次回の放送開始まで「radiko.jp」で視聴可能です。
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