横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2018年10月8日

本牧で生まれ、その後ドイツへ

英語・ドイツ語・フランス語にも堪能でジャズピアニストそしてシンガーの

グレースマーヤさんが今回のゲストでした。

10月2日のパラダイスカフェへでのライブで、おじさま達をうっとりさせた

グレースマーヤさんも参加していて頂いた番組名物

「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの後

(これであなたも横浜通)

今回のクイズのテーマは夜会から始まります

 

横浜村に外国人たちが住むようになり、次第に社交の場が求められてきました。

最初に横浜に領事館を作ったオランダ人が、文久3年(1863年)日本で初めての本格的な夜会(舞踏会)を開きました。

クイズ横浜第1問

会場は領事館の広い庭で行われました。

中央のポールに各国の国旗が建てられ、小さな電球が灯されてとても幻想的な雰囲気になりました。

外交官や軍人など160人の紳士たちが集まりましたが、ひとつ根本的な問題がありました。

さてどんな問題だったでしょうか?

ヒント

始まる前から考えればすぐわかる問題でした。それでも男性たちは我慢して楽しく夜会は盛り上がったそうです

その後、治安もよくなり家族を日本に呼ぶ人も増えてきて次第に女性の数も増えてきました。

そしてますます夜会も規模が大きくなってきました。

明治12年、香港の総督夫妻を迎えての盛大な夜会が開かれました。参加者は東京・横浜の有力者たち500人。

東京から最高裁判所長官も招待されました。

クイズ横浜第2問

夜会は横浜の花火師平山甚太が製造した豪華な花火が打ち上げられ、夜中までパーティは賑やかに続きました。

さて問題は東京から来たお客様の帰りの手段です。さあ、お客様はどうやって東京に帰宅したでしょうか?

ヒント

そのためにわざわざ最高裁長官を呼んだのでしょうか?

この人が来るのだったらこんなことまでしてもしょうがないな、と世間は思ってくれた?

明治16年東京の日比谷に鹿鳴館が出来ました。

不平等条約を解消する為に外国に劣らない国になったことをアピールするために作られたのです。

当時一番華やかだったのが絶世の美女といわれたのが外務大臣陸奥宗光の妻亮子さん。

陸奥亮子



花柳界出身の彼女、外交官の妻としてワシントンにまで乗り込んで英語を駆使しての話術が絶賛され「ワシントン社交界の華」

ともいわれ大活躍をしたそうです。

この美男美女のカップルは仲が良いことでとても有名でした。

クイズ横浜第3問

陸奥宗光さんには周囲の反対をおして守ったルールがあったそうです。

女性は夫の後を三歩下がって歩けと言われた時代に、奥様の写真を常に持ち歩き、

他人に見せていた愛妻家が守った妻との間のルールとは何だったのでしょうか?

ヒント

今では当たり前にみられる風景ですが・・

第1問答え

「女性の数が足りなかった」

参加した女性は10人、それも遅れてきた人が多かったので、ダンスが始まったのは11時半を過ぎていたそうです。

第2問答え

「臨時列車が用意された」

午前1時、当時の横浜駅だった桜木町発の臨時列車が用意されていました。

多分、多数の馬車が準備されて、領事館から桜木町まで行列が続いたのでしょうね。

桜木町駅

第3問答え

「人前でもいつも手を握り合って歩く。」

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?


This program is brought to you by CERTE.


月曜日の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
  
お聴き逃しの方は、次回の放送開始まで「radiko.jp」で視聴可能です。
http://radiko.jp/
 
 
  
パラダイスカフェ
TEL: 045-228-1668
HP: http://www.paradisecafe2001.com/
 
今後のライブ一覧
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