
今回のゲストはフォーク界のレジェンドオブレジェンド【六文銭】の小室等さんと
メンバーでもありお嬢様でもありご本人はメンバーの介護担当とおっしゃるこむろゆいさんでした!
パラダイスカフェでのライブを11月14日(水)に行っていただく六文銭の小室等さん、こむろゆいさんも
参加していて頂いた番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい
答えはこのコラムの後
(これであなたも横浜通)
馬と籠(かご)しかなかった江戸時代の交通手段。横浜ではまず明治2年、横浜の馬車道と
東京の外国人居留地の築地の間を走る新しい交通手段「乗合馬車」がスタートしたことは以前この番組で紹介しました。
実はそれより以前、慶応4年、江戸永代橋(えいたいばし)と横浜を結ぶ定期航路の蒸気船稲川丸が運行され、
船による初めての旅客輸送を開始しました。アメリカから購入したこの蒸気船は1時間半で江戸に着いたそうです。
クイズ横浜第1問
しかし考えてみると江戸時代から米や荷物を運ぶ貨物船はありました。
でも江戸と横浜を結ぶ定期船の航路があってもいいはずでしたが、実はなかったのです。
何故なかったのでしょうか?
ヒント
船で早く行かれると困る人たちのことを保護したのです。
横須賀で作られた純国産の弘明丸も翌年就航して東京-横浜間の定期船は築地の外国人居留地に行く客大人気でした。
築地では横浜のような外国人で賑わう街ができるとの予想で幕府は慶応4年、本格的な西洋風ホテル「築地ホテル」を
建設しました。といってもお金がない幕府は民間に投資を促しました。
そこで手を挙げたのが清水建設の二代目の清水喜助(きすけ)さん。
印象的な塔がついた2階建てのホテルを建設しました。全102室。
ビリヤード室、やバーも備えられていた。連日見物人が押し寄せ、錦絵が100種以上も作られ、
江戸・東京の名所となりました。
クイズ横浜第2問
商売人の清水喜助は入場料を取って一般人にも見学をさせたそうですが、部屋を見た日本人が驚いたものがありました。
さて何を見て驚いたのでしょうか?
ヒント
我々の生活に中で一般的になったのは戦後の話ですよね。それは驚いたでしょう。
ホテルは外国人にも大好評でしたが、わずか4年で火事で焼失してしまいました。
さて東京-横浜間の定期航路ですが、明治5年に鉄道が開設され新橋-横浜間が53分で到着。
定期航路の人気は急落してしまいました。
クイズ横浜第3問
稲川丸や弘明丸はその後新しい道を見つけて人々から感謝されました。
さてどこで活躍したのでしょうか?
ヒント
まだまだ日本には立派な客船が活躍できる場はありました。
鉄道が敷設できないところといえばあそことあそこですが、稲川丸、弘明丸は北に向かいました。
第1問答え
江戸幕府は街道筋の宿場を保護する為に宿場間の客船の運航を禁止していたから。
しかし文明開化の世の中、幕府は慶応4年にこの禁止令を廃止しました。
まずは横浜の漁民たちが横浜-神奈川間の旅客航路を開始、30分で両地域を結びました。
そして蒸気船稲川丸による横浜から東京築地までの定期航路が始まりました。
第2問答え
「水洗トイレ」
第3問答え
「青函連絡船」
青森と函館を海で結ぶために試験的に乗客約100人収容の弘明丸や稲川丸が購入されました。
そして明治6年1月から月に6往復、北海道と本州を結んで航海を続けました。
北海道開発のためには欠かせない青森からの出稼ぎ人を乗せた弘明丸や稲川丸は北海道開発に大きな貢献をしました。
さて、さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?
小室等さん&こむろゆいさんの回は、radikoにてお聴き頂けます♪
↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20181023013000
This program is brought to you by CERTE.
月曜日の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
そして!
パラダイスカフェでの【六文銭】のライブは、11月14日(水)ですよ
ご予約 ↓
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パラダイスカフェ 今後のライブ一覧
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