横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2018年10月15日

今週のゲストは牧野竜太郎さんでした!

滝ともはる、牧野竜太郎さん、米重優哉


 
パラダイスカフェで来年2019年1月23日(水)にライブをしてくれる牧野竜太郎さんも

参加していて頂いた番組名物

「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの後

(これであなたも横浜通)

現在の郵便制度が始まったのは明治4年のこと。

それまでの民間経営だった飛脚が廃止されて国家が郵便を管理することになりました。

飛脚制度が出来たのは鎌倉時代、それ以降日本の郵便制度はあまり発展せずに続いてきました。

英国公使オールコックは飛脚について、つぎのように書いています。

「日本の郵便はすべて飛脚によるもので、飛脚は「腰に布をまとっただけ」で、

竹を裂いてそのあいだに封をした手紙をいれ、小さな鈴をつけている。

この音を聞くとだれも道をよけなければならない。」

クイズ横浜第1問

オールコットは日本の道路そのものは非常に整備されていると絶賛しているのですが

「通信の速度は大変遅れている」とも。

それは西洋では普及していたあるものが日本にはないからだといっています。

さて何がないといっているのでしょうか?

ヒント

確かに参勤交代も殿様は馬に乗るか籠に乗るかで移動しています。

西部劇にはこれもよく出てきますね

この当時は、日本の郵便を外国には出せませんでした。

外国人は領事館内に郵便局があって、海外に手紙を出すのはこれら外国郵便局を利用していました。


日本の郵便が海外に出せるようになったのは、明治8年に新しく横浜の中央通りと本町通りの交差点に

横浜郵便局ができてからです。

その後は領事館内にあった外国郵便局の業務がここに委託されました。

三代目安藤広重「横浜郵便局開業の図」

クイズ横浜第2問

当時、地方のポストから海外に手紙を出す時は封筒をもう一度封筒の中に入れる二重封筒を使ったそうです。

何故二重封筒が必要だったのでしょうか?

ヒント

日本の切手は海外では通用しません。

でも外国の切手を売っているところは横浜郵便局だけしかありません。

この二重封筒ですが、宛名は両方に書かなければいけません。

近代郵便制度こそ近代国家に一番必要なものとの信念で、短期間で日本に郵便局のネットワークを作り上げたのが

前島密(ひそか)です。

クイズ横浜第3問

全国各地に郵便局を作る予算がないので、彼はお金をかけずに全国に郵便局を作る方法を思いつきました。

さてどうしたのでしょうか?

ヒント

彼は地方の名主にずうずうしいあるお願いをしました。ところが名主さんたちはいっせいに協力をしてくれました。

第1問答え

「馬車」

日本人は横浜馬車道を走る馬車を見て初めて馬車の便利さを知りました。

江戸時代に乗り物としての馬車が普及しなかったのは不思議ですね。

 第2問答え

外側の封筒には日本国内料金と海外への料金分を足した両方の料金分の日本切手を貼ります。

外国郵便はまず横浜郵便局に送られます。横浜郵便局はその外側の封筒を廃棄して内側の封筒に

差額の外国切手を貼って横浜郵便局から海外に郵便を出しました。

第3問答え

近代日本の発展のために名主さんの自宅の一部を郵便局として提出して郵便局長になってほしいと依頼しました。

結果多くの名主さんは賛同してくれて、明治6年には全国約1100箇所の郵便局が誕生しました。

局長さんが世襲制になっているところがあるのはこのせいです。

 前島密の功績をたたえて1円切手にその姿を残しています

他の切手がたびたびデザインを変更されている中、前島の肖像が描かれている1円切手だけは

昭和22年の初発行から1度もデザインが変更されていません。

日本郵便も、前島の肖像がある1円切手だけは変更することはできないと正式にコメントしています。

さてみなさんは何問お解りでしたでしょうか?

 
現在、牧野さんの回は、radikoにてお聴き頂けます♪
   ↓
http://radiko.jp/#!/ts/YFM/20181016013000
 
(聴取可能期限:2018年10月16日 26:03までです!) 
 
 
This program is brought to you by CERTE.


月曜日の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
 

 
 

 

 
 
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