
今回のゲストは、冷蔵庫の中・終電・とあるカップルの会話・医療・ゴミなどをテーマにして、
半径3メートル前後の小さな日常生活あるあるをメロディアスに歌い上げるという植松陽介さんでした!
そんな植松陽介さんも参加していただいた番組名物「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい
答えはこのコラムの後
(これであなたも横浜通)
今回は海外渡航に関する問題です。
開港後の横浜は江戸に一番近い開港場(かいこうじょう)として幕府が派遣する海外使節団など
多くの人が横浜港から出港していきました。
時は幕末、海外渡航は見つかれば打ち首。伊藤博文や井上馨(かおる)など長州の5傑と呼ばれる人たちは
ひそかにイギリスと交渉をして秘密裏に横浜からイギリス留学を果たしました。
クイズ横浜第1問
映画にもなった伊藤ら「長州ファイブ」の五人は密かに日本を脱出するにあたってある方法で無事日本を脱出できました。
さあ、彼らはどうやって日本を抜け出せたのでしょうか
ヒント
日本から出る人間は厳しくチェックされました
慶応2年、幕府は留学生や商人らの海外渡航を認めました。これにより奉行所に申請をし、
いまのパスポートにあたる「御印章」を受け取れば、海外に行くことができるようになりました。
クイズ横浜第2問
記念すべきパスポート発給第一号は政府役人でも留学のための侍でもなく意外な職業の人に給付されました。
さてどんな職業の人だったでしょうか?
ヒント
この人はその後ジョセフ彦さんのようにアメリカで大統領にも会いその後ヨーロッパにも渡りました。
何故大統領にあったかと言えば彼がアメリカで大人気を博したからです
その後多くの日本人がパスポートを持って海外に飛び出しました。
そして国際結婚をする人も出てきました。高杉晋作の従弟の南貞助はイギリス留学中に出会った娘ライザと結婚しました
クイズ横浜第3問
しかし日本の文化の中での結婚生活はなかなか難しく、その10年後二人は離婚してしまうのですが、
さて離婚の理由とは何だったでしょうか?
ヒント
うーん、ひょっとしたら彼女の方がでかかったのかも?
第1問答え
「荷物として船に積み込まれた」
まだ貿易が本格的になされていなかったので荷物検査は緩かったようです。
彼らは人間ではなく荷物として船に積み込まれしばらくは石炭庫に隠れていたそうです。
伊藤博文はロンドンで英語を学び、美術館に通い、軍事施設を見学してもはや攘夷が不可能であることを
悟ったといわれています
第2問答え
「サーカス芸人の隅田川浪五郎37歳」
リズリーというサーカス団がいち早く居留地慰問に来日しました。
リズリーは日本の曲芸師の腕にほれ込み「帝国日本芸人一座」を作ってアメリカ公演を決行しました。
隅田川さんはそのメンバーでした。彼の芸は紙で作った蝶々を扇子で空中に飛ばせる芸で、大人気を博し、
当時のジョンソン大統領にまで面会したそうです。
第3問答え
「妻の暴力」
南の書き記したものによると
「その残酷さは自分の父親や親戚などに対し、残酷無礼な行為をすること数度なり。
よって実父は家を出てしまった。また自分も顔および手足を負傷させられたこと数度なり。
明治15年2月に至っては、日本刀をもって切りかかってきたのを、かろうじてよけて伯父の家に逃げ込んだこともあった、
その後ずっとそこに隠れていた」って、これホントの話し。
色々と事件を起こしつつ、横浜は海外からの文化の玄関口として発展していくのでした。
さてみなさんは何問答えられましたでしょうか?
他の人にこのトリビアを紹介して自慢してみてみてください。
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