横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2018年9月10日

今回のゲストは、ご自身のtwitterでもしっかり告知して頂いた、Sinonさんでした!
 

Sinonさんも参加して頂いた「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてないよというみなさんも御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの後

(これであなたも横浜通)

今回のクイズ横浜は日本の発展、横浜の発展に関する出題です。

横浜村はもともと民家がわずかに数十軒あるだけの小さな村でした。

幕府が声をかけて、江戸や地元の商人に店舗を構えさせました。

しかし、商人たちも外国人相手に何を売ったらよいのまったく分りません。

そこでクイズ横浜第1問

とりあえず、手あたりしだい店先にお茶、野菜、海産物、などの品物を置いたところ、

外国人たちが非常に興味を持つものが明らかになりました。

さてそれは何だったでしょうか?

ヒント

富国強兵のための外貨獲得に一番大きな貢献をしたといわれています。

 

そこで財を築いたのが原三渓(さんけい)という人。

有名な横浜の三渓園は日本各地から集めた17棟の建築などを移築した

彼の自宅だったところです。

 

クイズ横浜第2問

原三渓は生糸販売から生糸製造にも手を出して、一時期有名な建物も所有していました。

建物というより煉瓦作りの美しい工場ですね。

ずばり群馬県にあるこの建物の名前は?

ヒント

数年前に世界遺産になりました。

さて原三渓は自らも絵筆をとる文人であり茶人(ちゃじん)でもありました。

三渓は雅号で、本名は富太郎、結婚前は原ではなく青木富太郎でした。

富太郎青年は早稲田大学の前身東京専門学校を卒業後に跡見女学校(あとみじょがっこう)

で歴史を教えていた時期がありました。

ある日富太郎は新橋駅である女性と出会いました。

その女性はなんと跡見女学校の教え子、その後二人は付き合い結婚するのですが、

実はその女性のお父様は横浜でも一、二位を争う生糸売込商「原商店」の社長、

横浜経済界のリーダー的な存在となった原善三郎だったのです。

クイズ横浜第3問

新橋駅であるハプニングがあり、二人は再会したのですが、

さてどんなハプニングがあったのでしょうか?

ヒント

彼女のほうにハプニングが起こりました。何かが切れたのでした。

第1問答え

「生糸」

ヨーロッパの人たちが絹に興味を持っていたのは中国から絹を運ぶ道シルクロードが発展したことからもよくわかりますね。また当時ヨーロッパでは、蚕が天敵の微粒子病に侵されて減少していたということもあり外国人は争って日本の絹を買いあさりました。

以後、80年間にわたって生糸が日本の輸出品目のトップを占め、その80パーセント以上が、横浜港からの輸出でした。

第2問答え

「富岡製糸工場」

明治35年から36年間。富岡製糸工場は原富岡製糸工場といって原三渓が三井から

買い取り、経営していました。日本が生糸の輸出世界一を誇り、工場がもっとも

繁栄していた時期でもありました。

 

第3問答え

「彼女の下駄の鼻緒(はなお)が切れたのを直してあげた。」

新橋駅を降りた富太郎青年の前を一人の可憐な女性が通りかかりました。

富太郎が見とれていると、女性は「あっ」という声を出して立ち止まりました。

女性の履いている下駄の鼻緒が切れてしまったのでした。

すぐさま富太郎は駆け寄り、懐から手ぬぐいを取り出して手際よく鼻緒をすげ替えました。

女性は頬を赤らめて丁寧に礼を述べましたが、その顔に見覚えが・・・。

もしかしてあなたは?というところから二人の交際が始まりました。

この女性ヤスさんは原家の一人娘、富太郎も長男だったのですが、

原家に養子に入ることで二人は結婚しました。そして原家の広大な敷地も

富太郎さんのものになりました。その後富太郎さんは実力を発揮して事業を拡大して

原家の名声を高めました。

さてみなさんは何問答えられましたでしょうか?

他の人にこのトリビアを紹介して自慢してみてみてください。

 
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