横浜の夜は眠らない - Fm yokohama 84.7

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2018年7月23日

今回のゲストは、関内駅北口セルテ内のライブハウス【B.B.STREET】の亀田弘之社長と、

【Yankee's】の石野晶社長とスタッフの木村香恵さんです!

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これらのライブハウスを経てビッグアーティストに育っていった多くのアーティストの方を

みつめて来られました。そんな亀田社長、石野社長もご参加頂いた番組名物コーナー

「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてない方も御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの後

(これであなたも横浜通)

明治初期に横浜港の埋め立て事業を手がけたことで横浜の発展に寄与し、「横浜の父」と呼ばれた人物がいました。

その人の名は高島嘉右衛門(たかしまかえもん)。

横浜の実業家高島は、明治3年、伊藤博文と大隈重信に京浜間鉄道敷設の必要性を説明したところ、後に大隈より事業参加の打診がありました。

というのも鉄道開設にあたって今の横浜駅の近くにあった神奈川宿に線路を通すのではなく、線路短縮のために青木町から野毛まで横浜港を埋め立てて線路を敷設する案が浮上しました。

当時この事業の引き受け手がなかなか見つからず、高島がこれを引き受けました。

埋め立て開発した者には鉄道線路を除きその土地を永代拝領するという条件が新政府から出されていましたが高島はその土地を自分のものとせずに政府に献上しました。

 

クイズ横浜第1問

明治政府は高島に敬意を表してあることをしました。

さて何をしたのでしょうか?

ヒント

横浜駅から桜木町方面に地下鉄を乗ると次の駅は?

江戸時代は照明といえばローソクと提灯しかありませんでした。

歌舞伎小屋でもローソクの灯りで芝居が行われ、夜間の移動は提灯をぶら下げて足元を照らすだけでした。

そう江戸時代の夜はとても暗かったのです。

クイズ横浜第2問

高嶋嘉右衛門は明治5年(1872年)に、馬車道・本町通り等にあるものを設置しました。

これで提灯なしに夜道を歩けるようになりました。

さて馬車道通りに記念碑がある「あるもの」とは何だったでしょうか?

ヒント

それまでは燃料として使用されていましたが、照明として初めて使用されました。

今は漏れると爆発するのではと心配してしまいますね。

 

高島嘉右衛門は占いの大家でもありました。

そもそも実業家として成功したきっかけも、安政の大地震の数日前、嘉右衛門の周りで不思議な現象が起き、自宅の釜が理由なく鳴ったのを聞いて、幼少時に学んだ易経(えききょう)を調べると「火」という答えが出たために大火が起こることを予知して大量の材木を買収、数日後に大地震が発生。

彼は大儲けをしました。

あまりにも彼の占いが当たるので、西郷隆盛はじめ多くの政財界の大物が彼のところに占ってもらいたいと殺到したそうです。

彼が生きているときはこの占いを商売には決してしませんでしたが、死後高島易断としていろいろな書物が出ていますが、彼自身は占いを金銭に変えることを禁じていたそうです。

クイズ横浜第3問

高島の家訓は「占いは○○○○」です。さてこの○四つにはどんな言葉が入るでしょうか?

ヒント

語呂合わせです。答えを聞いて怒らないでくださいね

第1問答え

政府はその土地の名前を「高島町」と名付けました。

 

第2問答え

「ガス灯」

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高島はドイツ商会が申請書を出しているのに気づき、こういう仕事は日本人がやらなければいけないと思い、フランス人技師の協力の元「日本社中」というガス会社を設立してこの事業を請け負いました。

オシャレなガス灯のデザインとその明るさが評判を呼び、翌年銀座でガス灯街が誕生、話題を呼びました。

第3問答え

「うらないはうらない」(占いは売らない)

ちゃんちゃん、おあとがよろしいようで・・・


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