
今回のゲストは、夏にぴったりなCHAN-MIKAさんでした!
CHAN-MIKAさんが参加していただきました。番組名物の「クイズ横浜」おさらいです。
番組をお聴きになった方、聴いてない方も御一緒にお考え下さい
答えはこのコラムの後
(これであなたも横浜通)
たくさんの日本で最初のものが横浜で生まれていますね。
この番組でも紹介した、アイスクリーム、オルガン、ピアノ、西洋風のホテル、牛鍋、散髪屋さん、競馬場、鉄道、テニス、競馬場、写真館、乗合馬車
まだまだいっぱいありますよ。
今回はビールも最初に本格的なビールを作り始めたのは横浜だったというお話です。
日本人として最初にビールを飲んだのは長崎出島のオランダ商館長から献上されたビールを飲んだ今村市兵衛という通訳が最初だといわれています。
彼のビールの感想は「ことのほか悪しき」「何の味わいも無い」と文献に残されています。
しかしその後ビールは日本人の間に定着して今や欠かせない存在になりました。
それではクイズ横浜第1問
ビールが英語だと思っている人もいるようですが、そうではありません。では何語でしょうか?
ヒント
長崎の出島といえばどこの国の人がいたでしょうか?
日本人で初めてビールを醸造したのは当時珍しかった化学者、川本幸民(こうみん)という人だといわれています。
兵庫県の出身ですが、その才能を薩摩藩主の島津斉彬に見出され、後に「近代化学の父」と呼ばれるようになった人です。
1853年(嘉永6年)、川本は自宅でビールの醸造実験を行いました。桂小五郎、大村益次郎、橋本左内といった幕末の名士たちを招いてビールの試飲会を行ったとも言われています。
1869年には、日本で最初のビール醸造所となる「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」がアメリカ人のローゼンフェルトによって居留地に設立され、翌年には同じくアメリカ人のコープランドが「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立されました。
スプリング・バレー社はまず横浜の天沼にビールづくりに最適な水を見つけると、池に流れ込む湧水を動力とする麦芽粉砕用の水車を設置し、動力を確保してビール作りが始まりました。
そう、まだ電気がなかったのです。
そしてこの二つの会社が競い合って横浜のビールが日本中に広がっていきました。
クイズ横浜第2問
しかしビールはまだ一般の日本人には普及しておらず、経営は難しかったのです。
そこでコープランドさんはあることを思いつき実行に移しました。
ビールを一般の人に飲んでもらおうとしてやったことなのですが、何をしたのでしょうか?
ヒント
ビールを飲む場所を工夫したのです。
しかし明治17年、スプリングバレー・ブルワリーは経営不振に陥り、倒産してしまいます。
しかし彼のもとで修業を積んだ日本人醸造者たちが全国へと飛散し、ビール国産化の流れを形成していきます。
1876年には政府開拓使が北海道札幌市に札幌麦酒醸造所を設立し「冷製札幌ビール」の製造、販売を行うようになりました。
これがのちのサッポロビールです。
さらに大阪では現在のアサヒビールが誕生しました・
さて横浜のコープランドさんの会社は日本在住の外国人経営の会社ジャパン・ブルワリーに引き継がれました。
この会社には三菱の岩崎弥太郎ほか9名の日本人も参加しました。
また総代理店として「明治屋」が販売を一手に引き受けました。
クイズ横浜第3問
このジャパン・ブルワリーによって、1888(明治21)年にある名称のビールが発売されました。
さてなんという名前でしょうか?
ヒント
想像上の動物の名前が付けられました
第1問答え
オランダ語
第2問答え
ビアガーデン
屋外はガーデン、屋内はホールといわれています。
ちなみに日本人が開いた第一号は大阪の第一生命ビルの屋上だったそうです。
クイズに出て来たコープランドさんは工場の庭にビアガーデンを開設して、ビールの普及に努めたそうです。
第3問答え
キリンビール
ジャパンブルワリーは明治40年に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足。第二次世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年(昭和29年)には、年間庫出量でトップシェアを獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものになりました。ご存知でしたか?
月曜日の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
お聴き逃しの方は、次回の放送開始まで「radiko.jp」で視聴可能です。
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