
7世紀ごろ、今から1270年ぐらい前に時の天皇である聖武天皇がだされた「国分寺建立の詔」
という命令がありました。これは全国に国分僧寺と国分尼寺、そして七重の党をたて、天皇が自分で書き写したお経をその中に納めて、仏教を広めよというものなんです。これにより、全国各地に国分寺という名前のお寺ができました。神奈川県は昔は主に相模の国といわれていましたから、相模国分寺となるわけですが
それがここ、海老名駅近くの相模国分寺なんです。現在は、お寺は高野山真言宗相模国分寺に継承されています。そして私が今いるのはそのお寺から少し北にある国分寺跡という所です。
・相模国分は古くから知られているお寺ですが平安時代には荒れてしまい、廃れてしまったようなんです。
その遺跡の跡が、なんと江戸時代の相模の国の今でいうガイドブックにも挿絵で書かれているんです。
・こうしたことから相模国分寺の跡は大正10年【1921年】に国の指定史跡になりました。
・今かどうなっているのかというと、広く整備された公園になっていて、ところどころに大きめの石が
整然と並んでいるところがあります。昔の建造物は、平は大きな石や岩を基礎にしてその上に木の柱を立てていたので、昔の柱があったと思わるところに整然と基礎となる岩が今も並べられています。
改めて俯瞰で見てみるとかなり広いことから、昔は相当栄えたお寺だったということが想像されます。
ここからさらに600メートル離れたところには国分尼寺、つまり尼寺の跡も発見されています。
ここでちょっとした歴史ミステリーがあるんです。全国の国分寺はそのほとんどが国府【今でいう県庁みたいな役所】の近くに建てられているんです。例えば武蔵の国の国府は府中にあるんですがその近くに国分寺があります。いまの千葉県、下総の国でも国府と国分寺は近い位置にあったということが確認されています。
で、相模の国はというと、国分寺はここ海老名にありますが、近くにあるはずの国府の跡が見つかっていないです。歴史的にも海老名にあったけれども引っ越したんじゃないかとか、とか、小田原のほうにあって、実は国分寺もここにはなかったんじゃないかなどの説があり、どれもはっきりとした証拠が見つかっていないので謎のままなです。相模の国の国府はいったいどこにあったんでしょうか?神奈川の歴史ミステリーなんです。相模の国府の跡を見つけられたら神奈川の大発見になりますよ
海老名駅の前にあるビナウォークというショッピングモールのにある海老名中央公園には当時の七重の塔の
レプリカが立っています。現在のものはちょっとスケールダウンして22メートルぐらいのものになっていますが、建立当時は65メートルもの高さの塔であったそうです。1200年以上前にここに65メートルもの高さの建物があったというのもすごい話ですね。