12月20日のFUTURESCAPEでは、FMヨコハマ40周年の振り返りとして、1995年4月から約4年間、「THE VOICE」のDJを務めた桑田真紀さんをゲストにお迎えしました。
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DJキャリアのスタートは、意外なきっかけから
柳井:一番最初に真紀さんがラジオのDJになられたきっかけは何だったんですか?
桑田:本当に信じられないような偶然の話なんですけど、1990年に、当時広報関係の会社に勤務してたんですね。で、ちょうどアメリカのクライアントから、「ジャズのラジオ番組あるんだけど、これ日本のラジオ局で流せないかな?」みたいな、そういう依頼が来たんですね。
当時、ラジオ業界の右も左もわからなくて、とりあえず片っ端からラジオ局に電話して「あの、すみません、こんな番組あるんですけど、興味ないですかね?」みたいな営業の電話をずっとかけてたんですよ。そうしたら、その過程である番組制作会社の方からね、「あんたの話し方が気に入った。デモテープ送って」みたいなことを言われて。
営業の電話がきっかけで、神戸のFMでDJを始めることになって。人生どこで何がどう繋がるかわかりませんよね。
小山:横浜とはご縁があったんですか?
桑田:神戸で、最初二年くらい、制作会社に勤めながら、月ー金は出勤して、土日で神戸に行って放送みたいにやっていたんですよ。そうしたらたまたまFMヨコハマの朝の番組でオーディションがあるか受けないかって言われて、受けたんですね。
だけど落ちちゃったんですよ。落ちちゃったんですけど、まぁ落っこちちゃったししょうがないから、体でも鍛えるか、と思って毎日ジムに通っていたら、オーディションを受けた番組が健康ドリンクスポンサーの番組だったんですね。オーディションで選ばれた方が具合を悪くされて、代打でだれでもいいから元気な人、ってことで私のところに電話がかかってきて。
「体は元気ですか?」と聞かれたから、「毎日ジムに通ってます」と言ったら、「じゃあそれであんたで決まり」って言われて。あれはまたね、すごい偶然なんですよ。ジムに毎日行っていたのが幸いしたっていう。
本放送にニューヨークからリモート出演していただいた桑田さんですが、その理由はなんと「国連事務総長室」での勤務。「THE VOICE」が終わった後にグアテマラへ留学された桑田さん。各地での縁が現職へと繋がっていったそうです。
https://radiko.jp/share/?sid=YFM&t=20251220090000
DJキャリアのスタートや、その後のグアテマラ留学、そして国連での勤務まで、行く先々での縁を大切にされてきた桑田さんの人生についてのトークは、必聴です!
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