11月26日のTresenに、Aylltonさんをゲストにお迎えしました。
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五島列島出身で、漁師の父をもつAylltonさん。
高校を卒業後、上京し4年目になるAylltonさんが音楽の道を志したきっかけについてお話していただきました。
植松:音楽の原体験とか、音楽を吸収する時間というのは、やはり島で?
Ayllton:島でした。
植松:何がきっかけだったんですか?
Ayllton:母親が、五島列島のアーティストがいると教えてくれて、ベベンコビッチというアーティストさんなんですけど。彼は五島弁で歌うアーティストなんですよ。それで、ギター格好いいな、と思って。ベベンコビッチさんとよくお話ししていて「ビートルズを絶対に聞け」というから、ビートルズを聞いたところから、どっぷり音楽にのめりこみましたね。
植松:そうなんですね。島を出て最初のライブをやったのは、いつになるんですか?
Ayllton:中学校一年生の時ですね。長崎で開催されたイベントのオープニングアクトみたいな形で呼んでいただいて、当時オリジナル曲とか持っていなかったんですけど、長崎出身の福山さんをカバーしたりとか、ビートルズカバーしたりとかで、5・6曲歌ったのを今でも覚えていますね。家族も見に来て。
植松:九州のほうに、島から行くっていうのはどんな感覚なんですか?
Ayllton:旅行みたいな感覚に近いですね。半年に1回か2回ぐらい行くかなという感じです。小中学生の僕らにとっては、行ったら必ずお土産を買って、みんなに渡してみたいな感じでしたね。
植松:そこに歌いに行くという経験を、割と早い時期にできたんですね。そういうことも、「楽しいな、音楽」という養分になってる?
Ayllton:そうでしたね。緊張で本当に手汗もびっしょりだったし、歌詞も飛ばしたし、今でも思い出せるくらいの緊張だったんですけど、でも拍手をもらった時の喜びみたいなものは、今も思い出せるくらいすごく嬉しかったので。そういった拍手だったり、「歌うまいね」みたいな小さな言葉が今でも頑張れているきっかけになっているなと思いますね。
植松:素敵ですね。そこで音楽をやる喜びみたいなものを得て、音楽をもっと本気でやっていくぞ、みたいな決意をもとに島を出たような。
Ayllton:そうですね。
植松:結構それって勇気がいる感じなんですか? 僕らが普通に実家を出るような感覚なのか、どうですか?
Ayllton:中学校を卒業して、高校の時に島を出て長崎の高校に通ったんですけど、当時島の中の高校に行く人が多かったんで、島の外に出るとなると、結構親戚から反対を食らったりもしましたね。
平沢:一人暮らしになるんですか?
Ayllton:下宿で暮らしていました。
植松:確かにね、ご家族とかは当然心配だろうけど、大元のきっかけになったお母さんとかはどうなんですか?
Ayllton:もう全部何でもやれ、というような母親で。
植松:応援してくれているような?
Ayllton:そうですね。
そんなAylltonさんには、12月20日に迫ったFm yokohama 40th Anniversary Live "Coming up Next"にオープニングアクトで出演していただきます。
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今回の放送はradikoのタイムフリーで聴くことができます。
https://radiko.jp/share/?sid=YFM&t=20251126150000
上京したての頃から、現在、そして見据えている将来までお話ししていただきましたので、ぜひお聴きください!
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